今週のThe Economistから書評を訳出しました。
原文はこちらから読めます。
The Economist Feb 25th 2010
University education in America
Professionalising the professor
アメリカの大学教育
大学教授の専門化

The Marketplace of Ideas: Reform and Resistance in the American University.
By Louis Menand.
この巧妙で知的な小品は、博士号を取得することを考えているすべての学生に読まれるべきである。そうすれば彼らは、他の道に進もうと決心するだろう。アメリカの大学で奇妙な事態が出来しているため、ハーバード大学の英文学教授ルイス・メナンドは、それをすばやく本にまとめた。
彼の関心は主に人文学-文学、語学、哲学など-にある。これらは、時代遅れになりつつある学問である。というのも、今や、アメリカの大学卒業者の22パーセントがビジネスを専攻しているのに対して、たった2パーセントが歴史学を、4パーセントが英文学を専攻しているに過ぎないからだ。しかし、アメリカの一流大学の多くは、学部生に、すべての教養人が持っていなくてはならない必要不可欠な考え方にまつわる規範から、基礎を習得して欲しいと望んでいる。しかし、そのほとんどの大学が、「普通教育」というものがどのようなものであるべきか、合意を得るのは難しいと気づいている。ハーバードでは、「偉大な本は読まれる。何故なら、それらは読まれているからである」と、メナン氏は記す。つまり、それらの書物は、社交上の接着剤のようなものとなっているのである。
そのような学科を構想し、教えることが難しい理由は、ひとつには、人文学教育と専門職教育は切り離され、別々の学校で教えられねばならないというアメリカのトップの大学による主張に、そのような学科は真っ向から対立するからである。しかし実際は、多くの学生は、両方を学ぶ。ハーバードの大学生の半分以上が、法学、薬学、あるいはビジネスに行き着くが、将来の医者や法律家は、専門家としての資格取得に乗り出す前に、専門外の人文学の課程を学ばなければならないのだ。
このように分離によってその専門課程を専門化することの他に、アメリカのトップの大学は、教授職をも専門化した。学問的研究への公費の増大はその進展を早めることになった。連邦政府の研究助成金は、1960年から1990にかけて4倍に増大した。しかし、研究の代償として、学部で教える時間は半分に減少した。専門化主義は、博士号の取得を、学問の世界での立身出世の必須条件にした。1969年に至っても、アメリカの大学教授の3分の1は、博士号を持っていなかったというのに。しかし、メナン氏の主張によれば、専門化主義の背後には、「ある種の専門化に必要な知識と技術は、伝達はできるが、譲渡することは出来ない」という、鍵となる考え方があるという。そのため学問は、知の生産だけではなく、知の生産者の生産をも牛耳っているのだ。
人文学ほど熱心に専門化主義に固執してきた学問はない。メナン氏が指摘するように、法律家には3年でなれるし、医者には4年でなれる。しかし、平均的に見て(平均!)、人文学の博士号を取得するのには9年かかる。(アメリカの学生への宣伝。あなたはイギリスのトップの大学で、4年未満で完全無欠の博士号を取得することができます。)英文学専攻の博士課程の学生の半分までもが、学位を取得する前にドロップアウトするのは、驚くに値しない。
同様に、学生のたったの半分しか、それを得るために大学院に入学した職、つまり終身在職権を与えられた教授職にありつけないという事実も、驚くには値しない。単純に、ポストがあまりに少なすぎるのだ。この原因の幾分かは、大学が博士号を、かつてないほど量産し続けていることにある。しかし、人文学系の科目を学ぼうとする学生は少なくなってきている。1970年から71年にかけて、英文科は、その20年後よりも多く学士号を授与していた。学生が減れば、教員も減る。だから、論文執筆の十年間の最後で、多くの人文学系の学生はその専門課程を去り、それまで訓練を受けて来なかったことをする羽目になるのだ。
高等教育を改革する鍵は、「知の生産者が生産される」方法を変えることにあると、メナン氏は結論づける。さもなければ大学人は皆、危険なまでに似通った思考を続け、彼らが研究、調査、批評する社会からますますかけ離れてしまう。「学問的探求は、少なくともいくつかの分野では、排他的な方向ではなく、より全体的な方向に向かう必要があるだろう。」しかし、一体どうしたらそれが実現できるのか、メナン氏は述べていない。実際には、お風呂のお湯と一緒に赤ん坊も流してしまうことにもなりかねない。つまり、学問的内向性に向けられた大衆のいらだちが、自由社会においてもっとも貴重な学問の権利である独立を、いくらか失わせることにだってなりかねないのだ。
| 2010/03/08
| The Economist, Translation
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今週のThe Economistから記事を訳出しました。
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The Economist Feb 25th 2010
Technology
The data deluge
テクノロジー
データの豪雨
企業や政府、共同体は、その大きな可能性をようやく活用し始めようとしている
18ヵ月前、小売業者のための供給チェーン管理会社、リー&ファンは、ネットワークに毎日100ギガバイトの情報が流れていることに気づいた。今や、その総計は10倍に膨れあがっている。2009年中には、イラクとアフガニスタンの上空を飛ぶアメリカの無人飛行機が、およそ24年分に相当するビデオ映像を送って寄こした。今年配備される新しい機種は、先行機種の10倍ものデータストリーム(訳注:バイト単位の転送データ)を送ってくるだろうし、2011年には、それは30倍になるだろう。
どこを見渡してみても、世界の情報量は急激に増加している。ある見積りによると、2005年に人類は150エクサバイト(1,500億ギガバイト)のデータを生み出したという。今年、人類は1,200エクサバイト(12,000億ギガバイト)を生み出すという。この情報の豪雨は、ついて行くことすら、そして有益であるはずのその幾分かを保存しておくことすらとても難しい。ましてやそれを分析して、パターンを見つけ出し、有益な情報を引き出すのは、困難を極める。しかし、たとえ困難だとしても、そのデータの豪雨は、ビジネス、行政、科学、そして毎日の生活を、すでに変え始めている。消費者、企業、政府が、データの流れをいつ制限し、いつ促進するのか正しい選択をする限りにおいては、そこには大きな可能性がある。

ゴミの中からダイヤモンドを選り分けろ
一部の業界は、データを収集して活用することの能力でその道をリードしてきた。クレジット・カード会社はすべての購入を監視し、何十億もの決済を処理して見つけた法則によって、かなり正確に不正を特定できる。例えば、盗難されたクレジット・カードは、ワインよりも蒸留酒を購入するのに使われる傾向がある。何故なら、蒸留酒の方が売り払いやすいからだ。また保険会社は、疑わしい支払い要求を特定する手がかりを精査するのに秀でている。不正な支払い要求は、火曜より月曜にされることが多い。何故なら、事故をでっち上げる保険契約者は、偽りの証人として友人を週末に集める傾向があるからだ。こういった多くの法則を精査することによって、どのカードが盗まれたものか、どの支払い要求が偽りか、見分けることが可能になるのだ。
一方、例えば携帯電話会社の人間は、頻繁な通話の多くにライバルの回線が使われていないかどうか判断するため、契約者の通話パターンを分析する。もしもそのライバルの回線が、その契約者を離れさせる原因となるかもしれない魅力的なプロモーションを展開しているようであれば、彼、あるいは彼女に、思い留まらせる動機を与えることができるかもしれない。最近では、新しい業界のみならず古い業界も、同じくらい熱心にデータを解析している。小売業者は、オンラインのみならずオフラインでも、データ採掘(あるいは、昨今知られるところでは「ビジネス・インテリジェンス」)の達人だ。スーパーマーケットは、「バスケット・データ」を分析することにより、特定の客の嗜好に合わせてプロモーションを調整できる。石油業界は、鉱泉を掘る前にスーパーコンピュータを使い、地震データを収集する。そして天文学者は、望遠鏡を星に向けるだけでなく、クエリ・ツールのソフトウェアをデジタル天体観測で使用することが多い。
この技術をもっと発展させることは可能だ。長年の努力にも拘わらず、警察と諜報機関のデータベースはほとんど連携されていない。健康管理では、カルテのデジタル化が、健康状態の傾向を、特定し、監視し易くし、様々な治療の効果を評価し易くするだろう。しかし、健康状態の記録をコンピュータ管理化するための多大な努力は、行政的、技術的、倫理的な問題に阻まれることが多い。オンライン広告は、オフラインの広告に比べて、すでにかなり正確にターゲットを絞り込めているが、さらに個人に向けてターゲットを絞り込める見込みがある。そうすると広告主は、より高い広告費を喜んで支払うことになるだろう。このことは、続いて、オンライン広告を受け入れる準備が出来た消費者に、より豊かで広範な無料のオンライン・サービスが提供されるようになることを意味する。そして政府は、犯罪件数、地図、政府契約の詳細、あるいは公共サービスの実績の統計といった、より多くの情報を公共の場所に掲載するという考えに、ようやく辿り着いた。人々は、起業するためや、当選した役人の責任を追求するために、こういった情報を新しいやり方で再利用できる。このような新しい機会を握る企業、あるいは他社にそのツールを提供する企業は、繁栄することになるだろう。ビジネス・インテリジェンスは、ソフトウェア業界の急速に成長する部門のひとつなのだ。
そして、悪い知らせに備えて
しかし、データの豪雨には危険もある。データベースが盗難に遭うことにまつわる例を挙げてみよう。ディスクに一杯に詰まった社会保障のデータがなくなる。税金の記録が入ったラップトップをタクシーの中に置き忘れる。クレジット・カードの番号がオンラインの小売業者から盗まれる。その結果は、プライバシーの侵害、個人情報の流出、そして詐欺である。また、プライバシーの侵害は、このような不正行為なくしても起こりうる。フェイスブックやグーグルが、突然、オンラインのソーシャル・ネットワークのプライバシー設定を変更し、会員が図らずも個人情報を曝すことになる時に定期的に起こる騒ぎを見よ。様々な権威主義的独裁は、特に政府が企業に顧客の個人情報を渡すよう強いるような時、より不吉な脅威となる。人々は、自分の個人情報が保管され管理されているということよりもむしろ、その管理が疎かにされていることに気づくことの方が多い。
データの豪雨に伴うこういった欠点に対処する最善の方法は、矛盾するようだが、いくつかの領域でさらなる透明性を要求し、正しい方法でデータを入手し易くすることである。第一に、ユーザーは、他人に所有されている自分に関する情報に、それが誰と共有されているかということも含め、より十分にアクセスでき、コントロールできなくてはならない。グーグルはユーザーに、ユーザーについて何の情報を持っているか把握させている。そしてユーザーに、例えば、検索履歴を消去したり、あるいは、掲載広告の傾向を修正したりできるようにしている。第二に、世界のいくつかの地域ではすでにそうなっているように、各種組織は、組織の代表の情報セキュリティに対する意識を高めさせるためにも、セキュリティ侵害について情報開示を求められなくてはならない。第三に、組織は毎年セキュリティ監査を受け、(明らかになった問題の詳細までとは言わないまでも)結果のランクを公表する必要がある。これは、企業にセキュリティを最新の状態に維持するように促すことになるだろう。
そして、データをしっかりと管理する組織がしない組織より好まれるようになれば、市場のインセンティヴは機能するようになる。イノヴェイションの息の根を止めるややこしい規制を必要とせずとも、これら三つの領域のさらなる透明性が、セキュリティを向上させ、人々に、自分に関するデータをよりコントロールする力を与えるだろう。つまるところ、データの豪雨に対処することを学ぶ過程、そしてそれをどのように利用するのが最善かを考える過程は、まだ始まったばかりなのだ。
| 2010/03/05
| The Economist, Translation
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今週号のThe Economistから記事を訳出しました。
バラク・オバマ批判の記事。
80兆円近い金をつぎ込むというアメリカの金融救済策が簡単に議会を通過して、健康保険法案がなかなか通過しないというのは、単に強者に有利な法案は簡単に議会を通過するが、弱者を救済する法案は廃案となる、という強者優先の論理で議会が動いているから、ということになるまいか。
原文はこちらから読めます。
The Economist Feb 18th 2010
Politics in America
What’s gone wrong in Washington?
アメリカの政界
ワシントンはどうしちゃったの?
アメリカの政局は、いつになく行き詰まっているように見える
システムよりもバラク・オバマを非難せよ
あと一歩でバラク・オバマの副大統領になれたインディアナ州出身の上院議員、エヴァン・バイは、今週、成果を上げることのできない上院の無能さを非難して、上院から退く意向を示した。皮肉屋たちは、バイ氏は、(世論調査では優勢なものの)11月の選挙に敗北することを気にかけてもいるのだろうと考えている。しかし、アメリカの民主主義は崩壊していて、自国の問題を修復することも出来ず、無益な党派争いに終始している、という彼の主張は、近頃、多くの支持を集めた。
確かに、システムは機能していないように見える。民主党議員の大統領がホワイト・ハウスにいて、民主党議員が下院と上院を支配しているにも拘わらず、オバマ氏は、何十年にもわたり民主党の目標となっている健康保険改革を断行できないでいる。彼が提唱した炭素排出量削減のためのキャップ・アンド・トレード法案は、下院は通過したものの、上院では勢いを失っている。現在も、雇用創出のためのひとつの法案が、同様に上院で行き詰まっている。上手くいかないのは、政権を握っている政党に問題があるから、というだけではない。ワシントンは、アメリカのもっと深刻な問題を修復できないかも知れない。民主党議員と共和党議員は、環境問題と健康保険について意見の一致を見せることはないだろう。しかし、ベビー・ブーム世代が退職を控える今、財政赤字がすでにGDPの10パーセントに達しているという現状をアメリカがやり過ごせるとは、誰も思っていない。それにも拘わらず、党派を超えた赤字削減委員会を作ろうという試みが、最近、またしても頓挫した。
批評家に言わせれば、このような機能不全は、(議院に100人以上いるうちの)たった41人の上院議員が、ひとつの法案の通過を妨げ、廃案にできてしまう時に起こることだ。ワイオミング州(人口、50万人)のような州が、カリフォルニア州(3700万人)と同等の影響力を上院で持ち、そのため、人口の11パーセントにも満たない人々を代表する上院議員たちが法案の成立を妨げることができてしまう時に起こることだ。ゲリマンダー(勝手な選挙区改変)のせいで、多くの連邦議会の議席が自由競争の原理に則った選挙に曝されていない時に起こることだ。忌々しいブロガーやラジオのトーク番組の司会者たちが、二党が歩み寄りをほのめかすだけで攻撃する時に起こることだ。ロビイングに使われる金の流れがすべてを腐敗させる時に起こることだ。そして、この機能不全は、アメリカから遠く海を越えて問題となっている。2、3年前は、北京の独裁的な統治システムが優れていると大胆にも言ってのけるのは中国の官僚だけだった。今日では、新興国からやってきたリーダーから、有力なアメリカの実業家に至るまで、物事を迅速に決定できる中国のシステムを密かに賞賛する者は後を絶たない。

もういいよ、リンカーン
わたしたちは中国のようなやり方に賛成する訳にはいかない。ワシントンには欠点があるが、そのいくつかは、簡単に修復できるはずだ。しかし、最近の激しい抗議の声の多くは、アメリカ政府の目的を見落としている。そして、そのことが、今の政治家たち(特にオバマ氏)を責任から逃れさせているのだ。
そもそも批評家というものは自説を強調するものだ。何も議会を通過しない、という言い方は、単純に事実にそぐわない。現在の財政危機を見よ。アメリカ金融救済のためのファンドを設ける壮大なTARP(不良資産救済プログラム)法案は、ジョージ・ブッシュの任期の最後に登場したにも拘わらず、議会を通過した。そして、2年間で7870億ドル(78兆7000億円)をつぎ込むというその経済刺激策に関する法案は、オバマ氏が就任してひと月足らずのうちに成立した。民主党議員たちはまた、それよりはいくぶん小規模な、環境テクノロジーへの投資に関する法案から、女性が性差別を訴えるのを容易にする法案に至る、数々の法案を通過させた。
より重要な批判として、アメリカ政府は、(恐慌回避のような)深刻な問題を解決するのは得意だが、(福祉や社会保障の責務のような)恒久的な問題に立ち向かうのは得意ではない、という議論がある。しかし、これですら、言い過ぎにあたるかも知れない。ブッシュ氏は年金改革には失敗したが、その世代において最大といえる学校改革、「落ちこぼれゼロ」を押し通した。ビル・クリントンは福祉を改革した。つまり、いつも上手くいくとは限らないが、システムは機能しうる、ということだ。(これはアメリカに限った話ではない。例えば中国は、発電所に認可を与えるその迅速さにも拘わらず、最近、健康保険ではつまずいた。)何よりも気がかりな予算について言えば、システムは、危機に直面するまで人々の行動を駆り立てることはないのかも知れない。しかし、アメリカ国民はかつて、巨額の赤字を解消したことだってあるのだ。
アメリカの政治構造は、国家レベルの立法を、容易にするのではなく、むしろ困難にするように設計されている。その創設者たちは、アメリカほどの規模の国は、ひとつの国家としてではなく、地域ごとに統治されるのが最善であると信じていた。この考え方に当てはまるように、いくつかの州は、健康保険改革を推し進めてきている。議事進行妨害や、審議打ち切りのための採決のような古くさい慣習のために大いに嘲笑されている上院というものは、広い支持を獲得しない限りは法案が確実に棄却される「冷却」室として、明確な意図を持って設計されたのである。
有権者からの広い支持は、健康保険法案でもキャップ・アンド・トレード法案でも欠けていたものだ。上院で審議された法案を下院が通していれば、民主党議員は、明日にでも健康保険法案を実現することができたはずだ。オバマ氏は、執行部命令によって、たくさんの炭素排出量の制限策を通せただろう。オバマ氏が、自分が掲げる目標に共和党議員と無党派議員を説得するという暴挙に出なくてはならないほどにまで、アメリカの統治は難しい訳ではない。もしもオバマ氏が、健康保険を民主党左派の手に委ねる代わりに、党派を超えた大統領になるという自らの公約通りに、例えば損害賠償制度の改革といったものを提示することによって保守派の機嫌を取っておけば、彼は健康保険法案を通すことが出来ていたかも知れない。同様に、彼には今、原子力を譲歩することによって、環境法案を勝ち取れる見込みがある。クリントン氏が共和党と協力することの有利性を学習した後、アメリカは一層しっかりと統治されたのではなかったか。
選挙区を区画し直した者たちを、区画し直す
そのようにして基本的なシステムは機能するのだ。しかし、二党の協力関係に問題があったからといって、改革できるはずのことを無視してきた言い訳にはならない。下院では、怒りは主にゲリマンダーに向けられている。欺瞞によって形成された共和党と民主党の「確実に獲得できる」議席が意味するのは、本当の戦いは政治家たちの間で、自らの政党からの指名を得るために戦われている、ということだ。このことは、候補者たちを極端な主張に迎合させ、二党の協力の機会を減少させる。いくつかの州にはすでに存在している独立した委員会は、問題の大部分を解消するかも知れない。しかし、上院では、議事進行妨害は、ある面、とてもお手軽であるため、非常に良く用いられている。ある法案に反対したい上院議員たちは、単純な手続きに則った投票に頼るのではなく、しっかりと反論すべきである。そうすれば、有権者は、誰が何を妨害しているのか、正確に把握することが出来るだろう。
あれやこれやの欠点は、是正されねばならない。しかし、是正されないからといって、それらの欠点が、現在の世論を占めているシステムが崩壊しているという主張に帰結することはない。アメリカの民主主義には山もあれば谷もある。カリフォルニア州の発議権を巡る熱狂のような、アメリカの民主主義を劇的に変革する試みには、それを穏便に施行するに至るまでの複雑な過程があるのだ。オバマ氏は、上院の共和党議員の振る舞いを遺憾に思うよりはむしろ、自身の大統領としての権限の使い方にもっと意識を向けるべきなのだ。
| 2010/02/24
| The Economist, Translation
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今週号のThe Economistから記事を訳出しました。
インドで、汚職役人へ賄賂を渡すことに抵抗する手段として、ゼロ・ルピー紙幣が印刷されたというニュースです。
ユーモアのある、賢い戦い方ですね。
格好いい。
それにしても、おばあさんがゼロ・ルピー紙幣を差し出すだけで、お役人が途端に態度を豹変させて、お茶を出し、お金まで貸してくれるなんて、なんだか微笑ましい話ですね。
原文はこちらから読めます。
The Economist Jan 28th 2010
Fighting corruption in India
A zero contribution
インドにおける汚職との戦い
ゼロの寄進
小さな汚職に抗うための奇抜な方法
ゼロサム(訳注・合計がゼロになる)・ゲームとは、ひとりのプレイヤーの利益が、他のプレイヤーの損失と正確に一致するゲームのことをいう。インドでは、地方のある非政府組織が、すべての人の暮らし向きを改善することを願って、新しいゼロサムを発明した。ゼロ・ルピー紙幣である。
その狙いはいったい何か。その紙幣は、法定通貨ではない。それは、50ルピー紙幣と同じ色をした、ガンディーの肖像が描かれた単なる一片の紙にすぎず、何の価値もない。その目的は、腐敗した役人を辱めて、賄賂を要求しないようにさせることである。

そのアイデアは、メリーランド大学からインドに帰国した折に際限のない恐喝に悩まされた経験を持つ、国外に在住するあるインド人の物理学教授が思いついた。彼はその紙幣を、しつこくせがむ役人に、礼儀正しく断る手段として渡したのだ。第五の柱と呼ばれるNGOの代表、ヴィジャイ・アナンドは、それはもっと大きな規模で効力を発揮するのではないかと考えた。彼は、汚職への反感をかき立てるため、25,000枚のゼロ・ルピー紙幣を印刷し公表した。紙幣は評判になった。彼の慈善団体は、2007年から現在まで、100万枚をばらまいた。
タミル・ナードゥ州のある役人は、その紙幣を受け取って度肝を抜かれ、ある村に電気を供給することの見返りとして要求した賄賂を全額、返還した。他のある役人は、立ち上がると、彼がお金をむしり取ろうとしていた老女にお茶を勧め、さらにはお金を貸すことを承認したので、彼女の孫娘は大学に行くことができた。
腐敗した役人たちは反抗に直面することがまれであり、それゆえ実際に直面したことで怖くなり、その紙幣が効力を発揮したのだと、アナンド氏は考えている。しかし、普通の人々は、もっと反抗したいと思っているのだ。何故なら、その紙幣にだって後ろ盾となる組織はあるのに、彼らは自分たちの組織を自分たちのものとして実感できないからだ。このような単純なアイデアがいつも機能するとは限らない。ひとたびインド政府が汚職裁判の被告となっている役人たちの名前をインターネット上に掲載すれば、そのリストは、誰に賄賂を渡したらよいかを教えてくれる便利なガイドとなり果ててしまう。だが、社会規範を変えることこそが小さな汚職と戦うための鍵であり、この紙幣はその戦いの進行を助けていると、世界銀行のナガノ・フミコは語る。それは無価値だが、無意味ではないのだ。
| 2010/02/06
| The Economist, Translation
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最新のThe Economistから記事を訳出。
原文はこちらから読めます。
The Economist January 28th 2010
Tablet computing
The book of Jobs
タブレット型コンピュータ
ジョブズの福音
次々と産業を改革してきたアップルが、
今度は、3つの産業を一度に変えようとしている
アップルは、常に、世界でもっともイノヴェイティヴな企業として評価されているが、その創意には、ある決まった型がある。アップルは、まったく新しい種類の製品を開発するというよりは、むしろ、すでにある不完全なアイデアを使って、それを適切に生かすにはどうしたらよいのかということを世界中に示すことに優れているのだ。アップルは、スティーヴ・ジョブズという移り気で、先見の明のあるボスの下、すでにこれを三度、成し遂げている。1984年には、アップルはマッキントッシュをリリースした。マッキントッシュは、視覚的にマウスで操作する最初のコンピュータというわけではなかったが、アップルが、そのコンセプトを使いやすい製品の形に落とし込んだのだ。そして2001年には、iPodが登場した。iPodは、最初のデジタル音楽プレイヤーというわけではなかったが、シンプルかつエレガントだったので、デジタル音楽を主流にした。2007年には、アップルは引き続きiPhoneをリリースした。iPhoneは最初のスマート・フォンというわけではなかったが、アップルが、他の携帯メーカーが失敗していた、モバイルでのインターネット・アクセスとソフトウェアのダウンロードを、大衆向きの市場に乗せることに成功したのだ。
ライバル企業がアップルの手法を真似ようと急ぐ中、音楽と電話産業はその姿を変えた。そして今、ジョブズ氏は、四度、同じ手を使おうとしている。1月27日、彼は自社最新の製品、iPadを発表した。iPadは、10インチのタッチ・スクリーンを装備した薄いタブレット型の機器で、3月下旬から499-829ドル(約4万5千円~7万5千円)で販売される。開発中の数年間、iPadについてのオンライン上での推測は熱狂的な話題となり、ここ数ヶ月は、時に狂信的といえるまでになっていた。ブログ界の懐疑派は、冗談めかして、神のタブレットとまで呼ぶほどだ。
アップル信者の熱狂は行きすぎているだろうが、しかし、ジョブズ氏の業績は、彼が市場に祝福を与える時、それは必ず成功することを示している。そればかりか、タブレット型コンピュータは、ひとつの産業を変えるだけでなく、3つの産業、コンピュータ産業、電話産業、メディア産業を変えることをも約束しているのだ。
3つのうち、最初のふたつのビジネスに関わる企業は、iPadの登場を不安げに見守っている。なぜなら、アップルの歴史が、iPadが手強い競争相手になることを証明しているからだ。対照的に、メディア産業はiPadを心から歓迎している。メディア企業にとっては、ウェブの至る所にはびこる違法コピー、無料コンテンツ、ばらまかれた広告といったものが、インターネットを困難な環境にしてきた。彼らは、アマゾンが作った電子書籍リーダー、キンドルに熱いまなざしを注いでいる。キンドルは、書籍の価格を引き下げ、しかも広告を掲載することはできない。メディア企業は、この新しい機器が、人々に、移動中にデジタル版の書籍や新聞、雑誌を読むように促すことで、彼らを生きながらえさせてくれる結果になることを願っている。確かに、アップルがこの新しい市場で、すでにデジタル音楽でそうなったように、大きな影響力を握ることになることへの懸念はある。しかし、アップルによって独占されているにしても、開かれた新しい市場があることは、市場が縮小していくより、あるいは市場が全くないよりマシだ。

タブレットは肌身離さず
これまで、実業家を狙ったタブレット型コンピュータが上手くいった試しはなかった。マイクロソフトは、何年もの間それを売り込んだが、ほとんど成功しなかった。アップル自身、ペンを使用するタブレット型コンピュータ、ニュートンを1993年にリリースしたが、失敗に終わった。これまでのところ、キンドルはなかなか健闘しており、ヌーク、スキフ、キューといった、同じくらい馬鹿げた名前を持つ後続機を生んでいる。一方、iPhoneやiPodタッチといったアップルのポケット・サイズのタッチ・スクリーン型機器は、音楽やビデオのプレイヤーとして、あるいは、携帯型ゲーム機として軌道に乗った。
その本質において、iPadは、ステロイドを打たれた巨大型iPhoneである。その大きなスクリーンは、iPadを、電子書籍リーダーとして、あるいはビデオ・プレイヤーとして、十分魅力のあるものにしている。しかし、iPadはまた、多くのゲームや、その他のソフトウェアを、iPhoneから引き継ぐこともできる。アップルは、iPhoneと同様に、多くの人々がラップトップの代わりとしてiPadを使うようになることを望んでいるのだ。アップルが間違っていなければ、iPadは、電話より大型で、ラップトップよりは小型の、あるいは、電子書籍リーダーや音楽やビデオのプレイヤーの二倍ほどの大きさの機器の、新しい市場を開拓できるかも知れない。すでに、異業種の産業がこの市場に群がってきている。携帯電話メーカーは、ネットブックとして知られる小型ラップトップをリリースし、コンピュータ・メーカーは、スマート・フォンへ移行しつつある。携帯電話やラップトップに移行しつつあるグーグルや、キンドルを持つアマゾンのような新参者もまた、争いに加わっていく。アマゾンはiPhoneスタイルのキンドル向け「アプリ・ストア」の計画を発表したばかりで、それが実現されれば、キンドルはただの電子書籍リーダー以上の存在になるだろう。
過去が参考になるとすれば、アップルのこの分野への参入は、電子機器メーカー間に苛烈な競争を引き起こすことになるだけでなく、かつては電子書籍に慎重だった消費者や出版社に決断を促し、この生まれたばかりのテクノロジーの導入に拍車をかけることになるだろう。マーケット・リサーチ会社、iSuppliによると、2008年には100万ドル(約9千万円)、2009年には500万ドル(約4億5千万円)だった電子書籍リーダーの売り上げは、今年、1200万ドル(約10億8千万円)に達すると見込まれている。
スクリーンを握りしめろ
タブレットの普及は、果たして、苦戦を強いられているメディア企業を救うことになるだろうか? 残念ながら、ならないだろう。いくつかの企業、例えばメトロポリタン新聞のような企業は、恐らく、専門のウェブサイトに移行しつつある求人広告に頼ることを宿命づけられている。一方で、他の企業はすでに先を行っている。タブレットは高価だ。それゆえ、メディア産業を変革するのに十分なだけ普及するまでに、何年もかかる。理論上は、ある新聞が読者に2年間のデジタル購読を契約させ、同時に、タブレット一台分のコストを負担する、といったようなことは可能だろう。しかし、このような負担は非常に高くつくだろうし、紙にこだわる読者のために、高価な印刷機を稼働し続けなければならない。
タブレットは弱小メディア企業を救わないかも知れない。しかし、強いメディア企業に活力を与えることにはなるだろう。ウェブでは難しいことが証明されたコンテンツへの課金は、よりやりやすくなる。すでに人々は、キンドルで(本紙The Economistを含めた)新聞や雑誌を読むことにお金を支払う準備が出来ている。iPadは、その色鮮やかな画面と、アップルのオンライン・ストアとの連携により、書籍や新聞、雑誌のダウンロードを、音楽のダウンロードと同じくらいまで、容易かつ一般的にするだろう。何より重要なのは、iPadが、アメリカの雑誌が特に依存している広告を受け入れることになるということだ。最終的にタブレットは、デジタル配信への大きな転換をもたらすことになるだろう。そして、新聞や本の出版社に、印刷機を止めることで、コストを削減させることになるだろう。
もしもジョブズ氏が、この新たな素晴らしい機器によって新たな驚くべき企てを成し遂げて、製品が本格的に普及すれば、デジタル革命がメディア企業にもたらす利益は、そのコストをすぐに回収するだろう。しかし、いくつかのメディア企業が滅びつつあっても、彼らに新しい機器が降臨することはないだろう。いかに神のタブレットといえども、奇跡は起こせないのだ。
| 2010/01/31
| The Economist, Translation
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