ジョブズの福音
最新のThe Economistから記事を訳出。
原文はこちらから読めます。
The Economist January 28th 2010
Tablet computing
The book of Jobs
タブレット型コンピュータ
ジョブズの福音
次々と産業を改革してきたアップルが、
今度は、3つの産業を一度に変えようとしている
アップルは、常に、世界でもっともイノヴェイティヴな企業として評価されているが、その創意には、ある決まった型がある。アップルは、まったく新しい種類の製品を開発するというよりは、むしろ、すでにある不完全なアイデアを使って、それを適切に生かすにはどうしたらよいのかということを世界中に示すことに優れているのだ。アップルは、スティーヴ・ジョブズという移り気で、先見の明のあるボスの下、すでにこれを三度、成し遂げている。1984年には、アップルはマッキントッシュをリリースした。マッキントッシュは、視覚的にマウスで操作する最初のコンピュータというわけではなかったが、アップルが、そのコンセプトを使いやすい製品の形に落とし込んだのだ。そして2001年には、iPodが登場した。iPodは、最初のデジタル音楽プレイヤーというわけではなかったが、シンプルかつエレガントだったので、デジタル音楽を主流にした。2007年には、アップルは引き続きiPhoneをリリースした。iPhoneは最初のスマート・フォンというわけではなかったが、アップルが、他の携帯メーカーが失敗していた、モバイルでのインターネット・アクセスとソフトウェアのダウンロードを、大衆向きの市場に乗せることに成功したのだ。
ライバル企業がアップルの手法を真似ようと急ぐ中、音楽と電話産業はその姿を変えた。そして今、ジョブズ氏は、四度、同じ手を使おうとしている。1月27日、彼は自社最新の製品、iPadを発表した。iPadは、10インチのタッチ・スクリーンを装備した薄いタブレット型の機器で、3月下旬から499-829ドル(約4万5千円~7万5千円)で販売される。開発中の数年間、iPadについてのオンライン上での推測は熱狂的な話題となり、ここ数ヶ月は、時に狂信的といえるまでになっていた。ブログ界の懐疑派は、冗談めかして、神のタブレットとまで呼ぶほどだ。
アップル信者の熱狂は行きすぎているだろうが、しかし、ジョブズ氏の業績は、彼が市場に祝福を与える時、それは必ず成功することを示している。そればかりか、タブレット型コンピュータは、ひとつの産業を変えるだけでなく、3つの産業、コンピュータ産業、電話産業、メディア産業を変えることをも約束しているのだ。
3つのうち、最初のふたつのビジネスに関わる企業は、iPadの登場を不安げに見守っている。なぜなら、アップルの歴史が、iPadが手強い競争相手になることを証明しているからだ。対照的に、メディア産業はiPadを心から歓迎している。メディア企業にとっては、ウェブの至る所にはびこる違法コピー、無料コンテンツ、ばらまかれた広告といったものが、インターネットを困難な環境にしてきた。彼らは、アマゾンが作った電子書籍リーダー、キンドルに熱いまなざしを注いでいる。キンドルは、書籍の価格を引き下げ、しかも広告を掲載することはできない。メディア企業は、この新しい機器が、人々に、移動中にデジタル版の書籍や新聞、雑誌を読むように促すことで、彼らを生きながらえさせてくれる結果になることを願っている。確かに、アップルがこの新しい市場で、すでにデジタル音楽でそうなったように、大きな影響力を握ることになることへの懸念はある。しかし、アップルによって独占されているにしても、開かれた新しい市場があることは、市場が縮小していくより、あるいは市場が全くないよりマシだ。
タブレットは肌身離さず
これまで、実業家を狙ったタブレット型コンピュータが上手くいった試しはなかった。マイクロソフトは、何年もの間それを売り込んだが、ほとんど成功しなかった。アップル自身、ペンを使用するタブレット型コンピュータ、ニュートンを1993年にリリースしたが、失敗に終わった。これまでのところ、キンドルはなかなか健闘しており、ヌーク、スキフ、キューといった、同じくらい馬鹿げた名前を持つ後続機を生んでいる。一方、iPhoneやiPodタッチといったアップルのポケット・サイズのタッチ・スクリーン型機器は、音楽やビデオのプレイヤーとして、あるいは、携帯型ゲーム機として軌道に乗った。
その本質において、iPadは、ステロイドを打たれた巨大型iPhoneである。その大きなスクリーンは、iPadを、電子書籍リーダーとして、あるいはビデオ・プレイヤーとして、十分魅力のあるものにしている。しかし、iPadはまた、多くのゲームや、その他のソフトウェアを、iPhoneから引き継ぐこともできる。アップルは、iPhoneと同様に、多くの人々がラップトップの代わりとしてiPadを使うようになることを望んでいるのだ。アップルが間違っていなければ、iPadは、電話より大型で、ラップトップよりは小型の、あるいは、電子書籍リーダーや音楽やビデオのプレイヤーの二倍ほどの大きさの機器の、新しい市場を開拓できるかも知れない。すでに、異業種の産業がこの市場に群がってきている。携帯電話メーカーは、ネットブックとして知られる小型ラップトップをリリースし、コンピュータ・メーカーは、スマート・フォンへ移行しつつある。携帯電話やラップトップに移行しつつあるグーグルや、キンドルを持つアマゾンのような新参者もまた、争いに加わっていく。アマゾンはiPhoneスタイルのキンドル向け「アプリ・ストア」の計画を発表したばかりで、それが実現されれば、キンドルはただの電子書籍リーダー以上の存在になるだろう。
過去が参考になるとすれば、アップルのこの分野への参入は、電子機器メーカー間に苛烈な競争を引き起こすことになるだけでなく、かつては電子書籍に慎重だった消費者や出版社に決断を促し、この生まれたばかりのテクノロジーの導入に拍車をかけることになるだろう。マーケット・リサーチ会社、iSuppliによると、2008年には100万ドル(約9千万円)、2009年には500万ドル(約4億5千万円)だった電子書籍リーダーの売り上げは、今年、1200万ドル(約10億8千万円)に達すると見込まれている。
スクリーンを握りしめろ
タブレットの普及は、果たして、苦戦を強いられているメディア企業を救うことになるだろうか? 残念ながら、ならないだろう。いくつかの企業、例えばメトロポリタン新聞のような企業は、恐らく、専門のウェブサイトに移行しつつある求人広告に頼ることを宿命づけられている。一方で、他の企業はすでに先を行っている。タブレットは高価だ。それゆえ、メディア産業を変革するのに十分なだけ普及するまでに、何年もかかる。理論上は、ある新聞が読者に2年間のデジタル購読を契約させ、同時に、タブレット一台分のコストを負担する、といったようなことは可能だろう。しかし、このような負担は非常に高くつくだろうし、紙にこだわる読者のために、高価な印刷機を稼働し続けなければならない。
タブレットは弱小メディア企業を救わないかも知れない。しかし、強いメディア企業に活力を与えることにはなるだろう。ウェブでは難しいことが証明されたコンテンツへの課金は、よりやりやすくなる。すでに人々は、キンドルで(本紙The Economistを含めた)新聞や雑誌を読むことにお金を支払う準備が出来ている。iPadは、その色鮮やかな画面と、アップルのオンライン・ストアとの連携により、書籍や新聞、雑誌のダウンロードを、音楽のダウンロードと同じくらいまで、容易かつ一般的にするだろう。何より重要なのは、iPadが、アメリカの雑誌が特に依存している広告を受け入れることになるということだ。最終的にタブレットは、デジタル配信への大きな転換をもたらすことになるだろう。そして、新聞や本の出版社に、印刷機を止めることで、コストを削減させることになるだろう。
もしもジョブズ氏が、この新たな素晴らしい機器によって新たな驚くべき企てを成し遂げて、製品が本格的に普及すれば、デジタル革命がメディア企業にもたらす利益は、そのコストをすぐに回収するだろう。しかし、いくつかのメディア企業が滅びつつあっても、彼らに新しい機器が降臨することはないだろう。いかに神のタブレットといえども、奇跡は起こせないのだ。