女性の美しさと国の健康水準

The Economist の記事を訳出しました。
Sex, health and beauty: Faces and fortunes
原文はこちらから読めます。


性別、健康、美しさ
顔と富

何が女性を魅力的にするかは、その女性が暮らしている場所がどれだけ健康的かに依存する

2014年5月3日

miss_world

健康と美しさが相関関係にあるということを疑う人はいないだろう。しかし、誰が美しいと認識されるかということは、彼女の健康だけに依存するのではなく、彼女が暮らしている地域の健康水準にも依存する、と聞くと驚かれるかもしれない。これは、しかし、フィンランドのトゥルク大学のUrszula Marcinkowska氏と彼女の同僚によってBiology Letters誌で発表されたばかりの研究における結論である。Marcinkowska氏は、健康的な国では、女性的な顔をした女性がかわいいと考えられ、不健康な地域では、より男性的に見える女性が好まれるということを発見した。

Marcinkowska氏は、28カ国から選ばれた約2,000人の男性に、同じ女性の顔を、より女性的なものからそうでないものまで様々に変形させた、つまり、エストロゲンとテストステロンのさまざまなレベルの影響を反映させたバージョンを見せることによって、この結論に達した。エストロゲンは、大きな目やふくよかな唇などの、いかにも女性的であるような特徴を引き立てる。テストステロンは、広い顔とがっしりとした顎といったような、男性的な特徴を引き立てる。

20140503_WOC797

グラフが示すように、相関関係は顕著である。そして、統計分析は、それが、国の豊かさや、男女の比率、そしてそれによる男性側の女性の選択肢の数とは無関係であることを示している。しかし、理由は判然としていない。

これまでの研究は、女性的な特徴を持つ女性が、子供を産み育てることにより適していることを明らかにしてきた。よって、ある男性が女性的な女性を好む時、彼が子孫を残せる確率は高まることになる。Marcinkowska氏は、女性なのに男性的に見える顔と相関することがおそらく予想される(男性の場合は確かに相関する)「支配」といったテストステロンに起因する行動特性は、産後の子供たちを養うために必要な物資の奪い合いに役立つのではないかと推測する。しかし、それがなぜ不健康な国で特に重要でなくてはならないのかについては、良く判っていない。

Googleと忘れられる権利

The Economist の記事を訳出しました。
Google and the EU: On being forgotten
原文はこちらから読めます。


GoogleとEU
忘れられることについて

忘れられる権利は魅力的に聞こえる。
しかしそれは、問題を解決する以上に、さらなる問題を生み出す。

2014年5月17日

20140517_LDD001_0

マックス・モズレーは、多くの人にとっては奇異に見えるかもしれない性的なプレイを楽しんだ。しかし、それは他人がとやかく言うべきことではなかったので、今は廃刊されたイギリスのタブロイド紙が2008年に彼を「病的なナチ乱交」の参加者であると誤報しとき、彼はプライバシーを侵害されたと訴え、勝訴した。その申し立ては、しかし、インターネット上に残り続けている。あなたが「マックス·モズレー」と入力すれば、Google(その会長、エリック・シュミットは本紙の社外取締役である)は親切に検索を補おうとしてくれる。最初の4つの選択肢は、「ビデオ」、「事件」、「写真」、そして 「スキャンダル」だ。彼と同様に、検索エンジンが自分の名前と関連づけようとする誹謗中傷や的外れな見解によって、自分たちの生活が汚されていると感じている多くの人びとは、是正を求めている。

ヨーロッパの多くの政治家はこれに同情的だ。フランスやイギリスなどの国々は、いったん有罪判決が下されれば、犯罪歴を消去することを長らく許容してきた。立法化するには28あるEU加盟国すべての承認が必要だが、欧州議会は「忘れられる権利」を支持している。モズレー氏は、ドイツで、国内のGoogle検索に表示される画像をブロックするための最初の法廷論争に勝利した。

現在、EUの最高裁判所である欧州司法裁判所は、ある象徴的な事件で、この訴訟を後押ししている。スペインの弁護士、マリオ・コステハ・ゴンザレスは、その検索結果が、自分の名前を、すでに決着した訴訟についての1998年の新聞記事と関連づけているといって、Googleを訴えた。裁判所は、他人が保持しているデータについて個人に大きな権利を付与する、制定から19年経ったデータ保護に関するヨーロッパの法律に照らし、Googleは「データ管理者」に相当するとの判決を下した。裁判所は、ある情報が処理された目的、経過した時間を考慮した上で、「不十分な、無関係な、(中略)あるいは行き過ぎた」情報へのリンクを表示しないように、Googleが要求され得ると述べた。もしも要求が断られ場合には、個人は、国のデータ監視局に訴えることができる。

誤解や悪意から犠牲者を守りたいという裁判所の願いは理解できる。しかし、忘れられる権利を行使するのは難しいだろう。ヨーロッパでは、Googleが検索結果を検閲させられたとしても、アメリカでは、合衆国憲法修正第1条にあたる言論の自由に関する条項が、プライバシーへの配慮をいつも踏みにじる。ちょっとした技術的ノウハウがあれば、ヨーロッパのインターネットユーザーでも、アメリカと同様の検索ができてしまうだろう。ヨーロッパは、それを防ぐために、中国のようなファイアウォールを構築したいとは思わないはずだ。

そして、企業に強制的に過去を消去させることが可能であったとしても、それは良い結果よりも、むしろ害をもらたすだろう。それは、自らの過去を隠したがっている人たちの不都合な真実を見つけ出そうとするすべての人たちを妨げることになる。欧州司法裁判所の判決は市民の自己防衛を認めるものだが、誰かが文句をつける度に、それぞれのケースについて比較検討することなくすぐに情報を削除することは、Googleや他の検索エンジンにとっては、商業的にも問題となる。

静かなる侵害に気をつけろ
忘れられる権利は、インターネットの大いなる力を弱めることにもなるだろう。インターネットとは、実際のところ、想像を絶するサイズの図書館であり、すべての図書館がそうであるように、ニュース、ゴシップ、アーカイブされた情報、そして多かれ少なかれ無関係であったり、間違っていたり、馬鹿げていたりするかもしれないその他の情報で溢れている。インターネットは、かつてないまでに自由に利用でるようになったこういった情報を大いに利用してきたが、同時に扱いかねてもきた。検索エンジンは、図書館の蔵書リストのようなものであるべきだ。それは、包括的かつ中立的でなくてはならず、その内容についても、使われ方についても、憂慮も賛成もしないものでなくてはならない。それが正しいか間違っているか、有益か無益かを判断するのは、行政ではなく、個人であるべきだ。人々は、それを判断をする力を明け渡してしまうことを警戒していなくてはならない。それについて知恵を巡らし、弱者を支援する裁判所に対してさえも。かつてジェームズ·マディスンは言った。「人々の自由は、暴力的に突然奪われるよりも、権力者により推進される静かなる侵害によってゆっくりと奪われるケースの方が多いのだ。」

防衛する日本

The Economist の記事を訳出しました。
Defending Japan: Collective insecurity
原文はこちらから読めます。

記事の中では、安倍内閣が憲法解釈を集団的自衛にまで拡大させようとしていることについて肯定的に書かれていますが、靖国参拝のような「思慮にかけた」行動を見るにつけ、外交下手な日本が本当に近隣諸国に理解を求めながら改革を進めていけるのかどうか、多いに疑問が残ります。


防衛する日本
集団「不安」保障
首相が日本を平和主義から引き離そうとするのにも一理ある

2014年5月17日

20140517_LDP003_0

日本の戦犯を祀る神社への彼の思慮に欠けた参拝を鑑みれば、近隣諸国が、日本の長年にわたる平和主義をこねくり回そうとする安倍晋三の計画を、深い疑念を持って見ていることは驚くに値しない。しかし、彼が今週発表した、日本が同盟国を防衛することを初めて許容しようとする提案は、日本を正しい方向へと導いている。その提案は、精力的な外交を伴うものである以上、地域を、不安にではなく、より安全にする必要がある。

『時代は変わる』
1945年の敗戦以来、日本は東アジアの平和と繁栄に貢献し、地球市民の模範となってきた。アメリカ人の占領者によって書かれた平和主義の戦後の憲法は、いくつかの点で賞賛に値する。その心髄である憲法九条には、日本は、国際紛争を解決するための武力行使を永遠に放棄するとある。この誓約は、日本の軍国主義が再びアジアにはびこることはないと近隣諸国を安心させる助けとなり、また、アメリカに西太平洋を見張らせることにもなった。その安全の保証が、今度は、日本人に、軍隊の制服を投げ捨てさせてサラリーマンのスーツを選ばせ、繁栄の道へと向かわせた。多くの日本人にとって、日本国憲法はプライドの源泉というだけではない。それは国の宝なのだ。

しかし、危険が高まりつつあり、日本の取り決めは時代遅れのものに見えてきつつある。脅威は、技術者たちが核爆弾を開発し終え、現在はそれを搭載するためのミサイル技術に取り組んでいる、北朝鮮から来る。そして中国は不満を溜め込み、軍事力を高め、東シナ海沖にある尖閣諸島の日本の長年にわたる支配に抗議している。

国内では、当惑しながら中国との衝突を避けようとしている超大国アメリカの、安全保障の不確かさに気を揉んでいる。疑念は、お互いが抱いている。一部のアメリカの戦略家は、日本がアメリカの安全保障にただ乗りしていることにうんざりしている。今日の憲法解釈では、日本は、カリフォルニアに向かって日本上空を飛んでいく北朝鮮のミサイルを撃墜することは許されない。朝鮮半島で戦争が起こっても、日本は、戦地に赴くアメリカの飛行機に燃料を補給することさえできない。アメリカの戦略家たちは、日本に、同盟の安全保障上、より大きな役割を果たしてもらうことを望んでいる。

最近の日本の指導者の誰よりも、安倍氏はこれらのことを理解している。自国の安全保障を強化するために、彼はすでに、同国初の国家安全保障局長を任命し、国家安全保障戦略を策定するなど、日本の慎重な基準に照らせば大胆な策を講じてきた。彼の最新の提案は、憲法を改正するのではなく、憲法が許容できること(特に、同盟国の援助に関わる集団的自衛の原則を指すが)を再解釈することだ。

中国は、自国の公共放送は行進する軍隊と鋭い音を立てて飛ぶジェット機で溢れているのに、日本の軍国主義を非難して、そのようなやり方は不正だと糾弾する。その誤解はほとんど故意に見える。平和維持活動以外の目的で、日本海域を越えて日本が軍隊を配備する筈がない。こういった比較的小さな変化を受け入れてもらうために、安倍氏が国内の人びとを苦心して説得していることが、日本が好き好んで戦争をしかけたいと望んでいる訳ではないことを示している。この新しい方針の主な効果は、日本が、アメリカ軍とより緊密に、兵站や諜報活動などについて連携しやすくなることだ。

他の点では、安倍氏の提案に取り立てて目を引くところはない。しかし、戦時中の日本が引き起こした大混乱や、現在、近隣諸国と不安定な関係にあることを考慮に入れると、改革は活発な外交と平行して進めていく必要がある。安全保障を、弱めるのではなく、強化しようとするのであれば、安倍氏は、日本の意図は、軍国主義復活の第一歩にあるのではなく、限定的で悪気のないものであると、地域を安心させる必要がある。

『GTA V』とイギリスのゲーム産業

The Economist の記事を訳出しました。
Video games: Pixel pressures
原文はこちらから読めます。

『グランド・セフト・オート V』の発売直後に掲載された、イギリスのゲーム産業に関する記事です。『GTA V』がアメリカのイギリス流のパロディであるという指摘が出てきます。この記事を読んで『GTA V』の購入を決めました。あまり遊べていないのですが。。最後は、携帯カジュアルゲーム市場への期待で締められています。


ビデオゲーム
ピクセルの重圧

大ヒット作のリリースが、イギリスのゲーム制作会社を延命させるかもしれない

2013年9月21日

20130921_BRP001_0

 9月17日にリリースされたビデオゲーム『グランド・セフト・オート V』は、一見した限りでは、まったくスコットランドらしくない。その舞台は架空のロサンゼルスだし、主人公である(アンチ)ヒーローは、アメリカのギャング3人組だ。しかし、しばらく遊ぶとイギリス独特のユーモアに気づくことになるだろう。ゲーム中の「ウィーゼル・ニュース」ネットワークは、文化闘争の最前線から終末的な報告を届ける。架空のソーシャル・メディア「ライフインベイダー」は、カリフォルニアの技術者をからかう。カジュアルな暴力表現はさておき、ゲームの美点は、それがアメリカの、特にイギリス流のパロディになっている点にある。

 1億7000万ポンド(289億円)の予算がかけられたといわれるこのエジンバラで作られたゲームは、イギリスのビデオゲーム産業にとってのひとつの偉業だ。『GTA V』を開発した会社、ロックスター・ノース(Rockstar North)は、10億ポンド(1700億円)程の売り上げを達成することが期待されている。しかし悲しいことに、このような成功は、今日では稀だ。誇大広告の下、イギリスのビデオゲーム産業に、かつての威光はない。『GTA V』リリースの数日前、イギリス最古かつ最大のゲーム制作スタジオのひとつ、ブリッツ(Blitz)は、閉鎖することを発表した。ブリッツのトップ、フィリップ·オリバー氏は、契約のための熾烈な競争を原因の一端とした。

 ゲーム産業におけるイギリスの弱体化は、グローバルなゲーム産業の状況を大きく反映している。 2大ゲーム機、Xbox 360とプレイステーション3は、両方ともそのライフサイクルの終焉を迎えようとしている。イギリスのゲームの売り上げ(アナログ・デジタルの両方を含む)は、2010年の20億ポンド(3400億円)から、2012年は16億ポンド(2720億円)に下落した。世界中で同様の傾向が見られる。ゲーム業界団体、TIGAが収集したデータによれば、そのことは、イギリスのスタジオで雇用されている制作スタッフが、2008年の9,900人から、2012年の9,224人に減少している理由の一端を説明する。

 しかし、学校での質の高いコンピュータ・サイエンスの教育によって確立した、初期の優位性は失われている。資金調達の難しさは、例えばロックスター・ノースがアメリカ企業、テイクツー·インタラクティブ(Take-Two Interactive)に所有されているように、多くのスタジオが国外の制作会社に吸収されることを意味した。アメリカとカナダでは、州によっては、寛大な補助金を導入しており、企業は所得税さえも返還請求することができる。ゲーム開発者は、若く、流動的な傾向があるので、イギリスからスタッフが引き離されることになった。彼らを野心のある外国人と交換することは難しい。就労ビザは高価で、取得するのがますます困難になってきている。

 TIGAのCEO、リチャード·ウィルソンによれば、時代の潮流がいま変わろうとしている。2012年、スタジオでの雇用の減少は横ばいだった。新しいゲーム機がまもなくリリースされるが、そのことは雇用の拡大を意味すると考えてよいだろう。2012年の予算において財務大臣ジョージ·オズボーンによって発表された補助金は、その必要性を受け入れていない欧州委員会により、遅らされている。しかし最終的には、補助金は可決されると思われる。制作費の25%に相当すると見込まれるその金額は、海外からの資金流入に歯止めをかけることになるだろう。

 『GTA』のような大ヒット作は別にして、おそらく最大の希望は、小規模で柔軟なチームによって作られた、携帯電話や、タブレット、PC向けの、安価なカジュアルゲームにある。TIGAによれば、イギリスの開発会社の半分は、過去4年間に創業された。ニューヨークに拠点を置く開発会社、レボリューション・ソフトウェア(Revolution Software)の創設者、チャールズ・セシルは、彼の『ブロークン・ソード』シリーズの新しいバージョンをiPadユーザに販売できるようにしたアップルに感謝している。彼が指摘するように、イギリスのゲームが持つ皮肉なウィットには、未だ多くの需要がある。今こそ、それを生かす時だ。

E-ducation

The Economist の記事を訳出しました。
Teaching and technology: E-ducation
原文はこちらから読めます。

教育工学(EdTech)の分野は、ソーシャルアプリ開発のノウハウを応用できる部分が大きいため、とても注目しています。


教育とテクノロジー
E-ducation

長らく停滞していた技術革命がついに進展を見せる

2013年6月29日

20130629_FBD002_1

 1913年、トーマス·エジソンは「映像で、人類の叡智すべての領域について教えることができる」と言い、教室では本はすぐに廃れるだろうと予測した。しかし実際には、映像は、教育にほとんど影響を与えなかった。最近まで、同じことがコンピュータでも言えた。1970年代以降、シリコンバレーの先見の明を持つ者たちが、自分たちの産業がオフィスと同じくらい教室を根本的に変えると主張し、それを根拠に学校へ多くのテクノロジーを売りつけてきた。子どもたちは、調査に、レポートのタイピングに、そしてカンニングに、コンピュータを使っている。しかし、教育システムの中核は、中世以来ほとんど変わっていない。つまり、「教壇に立つ賢人」たる教師が、居並ぶ学生に向かって「教え」を説く、というやり方である。トム·ブラウンやハックルベリー·フィンだったら、すぐにそれを見抜き、怖気をふるうだろう。

 今になってようやく革命が進行している。その中心には、「画一的な」教育から、個人に向けた方法に移行するという考え方がある。テクノロジーは、各々の子供たちに、適応性のあるコンピュータ·プログラムによる講義や「著名人」による講義を、異なるスピードで教えることを可能にする。そして、担任教師の役割は、雄弁家からコーチへと移行する。つまり、特に助けが必要な場合に、装置が識別した子供に対して、個別の注意を向けるやり方だ。理論的には教室の役割が「変化」し、基礎的な知識が画面を通じて自宅に提供される一方、授業はその知識を定着させ、磨き上げ、テストする場になる。(今の宿題と同じ方法だが、より効果的だ。)政治家や教師がそれを受け入れさえすれば、多くの子供達へ、より低コストでより良質な教育が約束される。

 なぜ今回の革命はこれまでと違うのか? その理由の大半は、いくつもの大きな変化が同時に起こっていることによる。それはつまり、高速モバイルネットワーク、安価なタブレット端末、低コストで大量のデータを処理する能力、洗練されたオンラインゲームと適応学習ソフトといったものを指す。例えば、継続的なパフォーマンス評価機能を持った新しいインタラクティブなデジタル教科書は、それを使用する生徒が何をどのように学習しているかに応じて、リアルタイムな変化が可能だ。(生徒自身がテストされていることに気づかないことだってあるだろう。)新しいデータ·マイニング·ソフトウェアは、特別な注意がない場合に、いつ生徒が読解や数学でミスするかを予測でき、手遅れになる前に、教師が介入することができる。

Yes we Khan
 高等教育の方が、一歩進んでいる。立ち上げからようやく1年経ったばかりの「大規模なオンライン公開授業」を提供する草分けのひとつ、コーセラ(Coursera)は、現在、全世界で390万人以上の生徒数を誇り、83のパートナー機関によって提供される授業を使っている。大学は、テクノロジーを試すのに熱心だ。イギリスのテレビ講義形式のオープン・ユニバーシティ(Open University)は、現在、創業44年になる。しかし今回は、初等、中等教育がその後を追う。サルマン・カーン氏が、数学のビデオを作ることに集中するためにヘッジファンドの仕事を辞めてから4年後の現在、カーン・アカデミー(Khan Academy)には600万人の登録ユーザーがおり、彼らは毎日300万の問題を解答(または解答しようと)しており、そのカリキュラムは数学意外にも大きく拡大している。それはまた、アメリカの国境をも超えて広がっている。世界で最も裕福な男性のひとり、カルロス·スリム氏は、彼の母国メキシコの小学生のために開発されているカーン・アカデミーのカリキュラムのひとつに出資していると言われている。

 教育工学は、これまで、他にも印象的な支持者を集めてきた。ビル·ゲイツ氏は、これを、教育における「歴史的瞬間」と呼んだ。民間資金も集まってきている。良い面だけを誇張する単なるハイテク好きとは違う、ルパート・マードック氏は、彼のデジタル教育事業、アンプリファイ(Amplify)に、今年、約18億ドルもの損失を許している。これは、アメリカだけでもすぐに440億ドルの価値になるだろうとニューズ・コーポレーションが試算している教育工学市場の覇権を握ることを期待してのことだ。ドバイを本拠地とする教育機関、ジェムズ(GEMS)は、遠隔地の子どもたちに手を差し伸ばすために、インドやガーナでテクノロジーの利用を拡大したいと考えている。

 先行きが見通せない問題もある。多くの親はすでに、「ゆとり世代」を、ゲームをしてばかりいて、いつもコンピュータに向かって、文法のおかしな文章を書き込んでいると非難している。教師たちは教育工学のサービスを利用するかもしれないが、教師の労働組合は、学校がより少ない教師でやっていけることを示唆するものは何でも訝しく思うふしがあり、教育で金を儲けようとするマードック氏のニューズ・コーポレーションのような民間企業を嫌うものだ。プライバシーの心配もある。教育工学を扱う企業は、生徒の個人データの巨大な保管所となってしまう。

うまくいってはいるようだ
 これらの懸念のほとんどは行き過ぎたものだ。営利企業は、長きに渡って、印刷された教科書を販売するビジネスをしてきているし、データ·プライバシー法の適用範囲を学生にまで拡大できない理由はない。しかし、大きな疑問は残る。子どもたちは果たして、より多くを学ぶことになるのだろうか? 今度は、それは、教師にかかっている。最高のテクノロジーでさえ、教師のサポートなくしてはどこにも到達しえないからだ。

 教育工学の有効性は、主にアメリカで証明されている。ほとんどの場合において、教師がしっかり訓練されているとき、それは機能するようだ。教育工学を取り入れているカリフォルニア州サンノゼにあるチャーター・スクールのネットワーク、ロケットシップ(Rocketship)の低所得層の学生は、その州の最も裕福な地域に住んでいる学生の能力を上回っている。様々な試行プログラムで良い成果を出した、カーン・アカデミーの適応性のあるソフトウェア·プラットフォームは、現在、アメリカの最も裕福かつ最高の学力を誇る学区のひとつ、ロスアルトスで利用されている。

 資金不足の公立校が、貧しい学生が学業に追いつくのを手助けするテクノロジーを導入するため資金繰りに苦しむ一方、豊な学校、特に私立校は、教育工学を最も熱心に取り込むので、短期的には格差が助長されることになるだろう。政府は、彼らが導入できるように投資する必要がある。いくらかの投資がされてはいる。韓国では、高速インターネットアクセスは学校では標準となっている。バラク·オバマは最近、アメリカがそれに続くことを約束した。法律は、生徒が、年齢に応じてグループ分けされるのではなく、同程度の学力の生徒と一緒に勉強できるように、改正される必要がある。しかし、多くの政治家にとって、強い力を持った教員組合との対決が、大きな試練となるだろう。

 子を持つ親や納税者がそういった政治家を支えなくてはならない。教育は、テクノロジーが他の仕事にもたらした生産性の向上に、頑なまでに抗ってきた。しかし、この教育工学の波は、それを変えることを期待させる。テクノロジーは、おそらく一世紀以上の間、もう少しで教育を変革させるぎりぎりのところにあり続けてきた。今回こそは、それが実現しそうに見える。

ページトップへ