情報の非対称性/情報を隠すエージェント

The Economist の記事を訳出しました。
Information asymmetry: Secrets and agents
原文はこちらから読めます。


情報の非対称性
情報を隠すエージェント
ジョージ・アカロフの1970年の論文、「レモン市場」は、情報経済学の基礎である。主要な経済概念についてのシリーズ第1回。

2016年6月23日

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 2007年、ワシントン州は、労働市場をより公平なものにすることを目的とした新しいルールを導入した。すなわち、企業は、求職者のクレジット履歴(個人信用情報)をチェックすることが禁じられたのだ。運動家たちは、平等への一歩として、この新しい法律を歓迎した。というのも、クレジット履歴の評価が低い応募者は、貧乏人や、黒人、若者であることが多いからだ。それ以来、10の他の州が後に続いた。しかし、2人のエコノミスト、ロバート・クリフォードとダニエル・ショーグが、最近、その禁止令について研究し、その法律が黒人と若者の就業率を増加させるどころか、むしろ減少させていたことを発見した。

 1970年以前は、経済学者たちは、経済学の分野において、この問題について考える手がかりをあまり見つけられなかった。実際のところ、彼らは、情報の役割について、まったく真剣に考えていなかった。例えば、労働市場において、教科書は大抵、雇用主は労働者、もしくは潜在的な労働者の生産性を把握しており、競争原理のおかげで、成果にきちんと見合った対価を支払っていることを前提としている。

 その推論をひっくり返す研究は、重大な発見として、すぐに賞賛を浴びるだろうと、あなたは思うかも知れない。しかし、1960年代後半にジョージ・アカロフが「レモン市場」を書いた時、後にその著者にノーベル賞をもたらすことになるその論文は、3つの主要な学術誌から掲載を拒否された。当時、アカロフ氏は、カリフォルニア大学バークレー校の助教授であり、1966年に、MITで、博士課程を修了したばかりだった。おそらく、その結果として、『アメリカン・エコノミック・レビュー』誌は、彼の論文の洞察を取るに足らないものと考えた。『レビュー・オブ・エコノミック・スタディーズ』誌も同様だった。『ジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミー』誌は、ほとんど正反対の見解を持っており、その論文がほのめかしていることに我慢がならなかった。今はバークレー校の名誉教授であり、連邦準備制度の議長、ジャネット・イエレンと結婚したアカロフ氏は、編集者の苦言を述懐する。「ここに書かれていることが正しければ、経済学はいまと違うものになっていたはずですよ。」

 ある意味では、編集者はまったくもって正しかった。最終的に1970年に『クオータリー・ジャーナル・オブ・エコノミクス』誌に掲載されたアカロフ氏の考えは、シンプルであると同時に革新的だった。例えば、中古車市場の買い手が、良い車(「桃」)を、1,000ドルの価値があると考えていて、売り手はそれよりもやや少ない価値しかないと考えていたとする。同様に、故障した中古車(「レモン」)が、買い手にとっては500ドルの価値があり、売り手にとってはそれよりやや少ない価値しかなったとする。この場合、もしも買い手が、レモンと桃を区別することができれば、両方の取り引きが促進されるはずだ。しかし、現実には、買い手はその違いを見分けるのに苦労する。傷は補修が可能だし、エンジンの問題は判りようがないし、走行距離計でさえ改ざんできてしまう。

 車がレモンであるリスクを考慮し、買い手は売り手の提示額を値切ろうとする。買い手は、レモンか桃か半々のチャンスがあると考える車のために、例えば、750ドル支払うことも厭わないかも知れない。しかし、桃を持っていることを確信している売り手は、そのような申し出を拒否するだろう。結果として、買い手は「逆選抜」(訳注:情報の非対称性が存在する[売り手と買い手が保持している情報量に格差がある]状況[レモン市場]において発生する市場の失敗、厚生の損失。逆選択、逆淘汰とも呼ばれる。)に直面する。750ドルを受け入れようとする売り手は、自分がレモンを譲ろうとしていることを自覚している人ということになる。

 賢明な買い手は、この問題を予見することができる。彼らはずっとレモンだけを売り付けられることになるのが判っているので、たったの500ドルしか提示しない。レモンの売り手は、レモンであることがバレていた場合に行き着いたであろう価格と同じ価格に行き着く。しかし、桃はガレージにとどまる。これは悲劇だ。車の品質に確信が持てさえすれば、桃のために売り手の希望価格を喜んで支払う買い手は存在する。買い手と売り手の間のこの「情報の非対称性」が市場を殺す。

 市場の特定の人々が他の人々よりも多く情報を持っているということを観察しただけでノーベル賞を勝ち取るなんて、そんなことがあって良いものでしょうか? と、あるジャーナリストは、情報の非対称性ついての研究のために2001年のノ​​ーベル賞をアカロフ氏とジョセフ・スティグリッツと共に受賞した、マイケル・スペンスに尋ねた。彼の不信は理解できる。レモンの論文は、中古車市場の正確な説明にすらなっていない。売られたすべての中古車が不良品であるわけがないのは明らかである。そして、保険会社は、長い間、顧客こそが自分が直面するリスクの最高の目利きであり、保険を購入する人たちの中でも最も用心深い人こそがおそらく最もリスクの高い商売相手であることを認識していた。

 しかし、この概念は主流の経済学者にとっては目新しく、彼らはそれが経済モデルの多くを陳腐化したことにすぐに気づいた。研究者たちは非対称性の問題を解決できる方法を検討し、すぐにさらなる重大な発見が続いた。スペンス氏の主要な貢献は、労働市場を研究した「ジョブ・マーケット・シグナリング」と呼ばれる1973年の論文だった。雇用者はどちらの候補者が良いのかを見分けるのに苦労する。スペンス氏は、優れた労働者たちが、大学の学位のような勲章を集めることによって、自らの才能のシグナルを企業に送っているのではないかと論じた。重要なのは、これはシグナルが信頼に値する時だけ機能する、ということだ。もしも生産性の低い労働者が単位を取得するのが簡単であることに気づいてしまった場合、賢いタイプを装うことができてしまう。

 このアイデアは、従来の考えをひっくり返す。教育は、通常、労働者をより生産的にすることによって、社会に利益をもたらすと考えられている。それがもしも単に才能のシグナルに過ぎないのだとしたら、教育への投資の見返りは、社会全体にではなく、より能力の低いものの犠牲の上に、より多く稼ぐ学生たちに、あるいはひょっとすると大学に、もたらされることになる。この考えの信奉者、ジョージ・メイソン大学のブライアン・カプランは、現在、『教育に反する事例』というタイトルの本を執筆している。(スペンス氏自身は、他の人々が彼の理論を、世の中の説明として文字通りに受け取ってしまっていることを残念に思っている。)

 シグナリング(シグナルを送ること)は、ワシントンと他の州が企業に求職者のクレジット履歴の入手を禁じた時に、何が起こったかを説明するのに役立つ。クレジット履歴は、信頼できるシグナルだ。それを偽装するのは難しく、おそらく、良いクレジット履歴を持つものは、自分の借金で破産しているものに比べて、良い従業員である可能性が高い。クリフォード氏とショーグ氏は、クレジット履歴にもはやアクセスできなくなった企業が、他のシグナル、教育や経験により大きい比重を置くようになったことに気づいた。教育や経験を持つものは、不利な立場にあるグループでは稀なので、求職者が自分の価値を雇用者に納得させるのは、容易になるどころか、むしろ困難になる。

 シグナリングは、すべての行動を説明する。企業は、株主に配当金を与えるが、株主はその受け取りに対して所得税を支払わなくてはならない。企業が、自分たちの収益を維持して、株価を上げ、軽く課税されたキャピタルゲインを、このように株主たちに還元することは、企業にとって本当にメリットがあるのだろうか? シグナリングは、その謎を解く。配当金を支払うことは、力の現れであり、会社が金を貯め込む必要を感じていないことを示すことになる。同じ理由で、何故、レストランはわざわざ賃料の高い場所に出店するのだろうか? それは潜在的な顧客に、その店が、自分たちの良質な料理が成功をもたらすことを確信しているシグナルを送る。

 シグナリングが、レモン問題を克服する唯一の方法というわけではない。スティグリッツ氏とマイケル・ロスチャイルド氏、そしてもうひとりの経済学者は、1976年の論文の中で、いかに保険会社が顧客を「スクリーニング」し得るかということを示している。スクリーニングの本質は、あるタイプの顧客だけを引きつける契約を提供することにある。

 ある車の保険会社に、ハイリスクとローリスク、ふたつのタイプの顧客がいるとする。保険会社は、これらのグループを区別することができない。顧客だけが、自分が安全なドライバーかどうかを知っているのだ。ロスチャイルド氏とスティグリッツ氏は、しのぎを削る市場では、保険会社は同じ契約を両方のグループに提供して利益を出すのは不可能であることを示した。もしもそれを実行すれば、安全運転のドライバーの保険料が、危険を顧みないドライバーへの支払いに充てられることになるだろう。ライバル会社は、少し低い保険料で、少し狭い補償範囲の契約を提供できるだろうが、危険を顧みないドライバーは完全に補償されていることを望むので、安全なドライバーへの支払いが少なくなるだろう。その会社は、危険の多い被保険者とだけ取り残され、損失を出すことになるだろう。(オバマケアは、アメリカの健康保険会社に対して、すでに健康を損なっている顧客を差別することを禁じているので、一部の人たちは、これと似たような問題がオバマケアを苦しめることになるだろうと心配した。結果として生じる高い保険料が、健康的な若い顧客に加入を思いとどまらせることになれば、会社は保険料をさらに上げざるを得ず、さらに健康な顧客を遠ざけることになり、言わば、「死のスパイラル」に囚われることになるだろう。)

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 自動車の保険会社は、ふたつの契約を提供し、それぞれの契約が、対象となる顧客だけを引き寄せるようにしなくてはならない。その秘訣は、高額な完全補償の保険と、自己負担額が大きい安価なもうひとつの選択肢を提供することだ。危険を顧みないドライバーは、保険金の支払いを求める時に最終的に高額な自己負担金を支払うことになる可能性が高いことを理解しているので、尻込みするだろう。代わりに彼らは、高額な補償範囲のためにしぶしぶながら支払うことを選ぶだろう。安全運転のドライバーは、高額な自己負担金を許容し、契約した補償範囲のために低い保険料を支払うだろう。

 これはあまり幸福な問題解決とは言えない。良いドライバーは、高額な自己負担金を背負うことになる。ちょうどスペンスの教育モデルで、高い生産性を誇る労働者は、自らの価値を証明するために教育にしぶしぶながらも出資しなくてはならなかったように。しかし、スクリーニングは、企業が顧客に複数の選択肢を提供するほとんどすべての場合に機能している。

 例えば、航空会社は、貧しい顧客を遠ざけることなく、豊かな顧客から、高い価格を設定してお金を絞り取ろうとする。もしも彼らが、それぞれの顧客の懐具合を前もって知っていれば、彼らは、金持ちにだけファーストクラスのチケットを、他の人たちには手頃な価格のチケットを提供することができるだろう。しかし、彼らはすべての人々に同じ選択肢を提供しなくてはならないので、余裕のある人々をより高額なチケットに仕向けなくてはならない。これは、普通客室の座り心地をわざと悪くし、お金の無い人々だけが、その客室にやって来るようにすることを意味している。

エデンを蝕む危険

 逆選抜の他に、類似するもうひとつの問題がある。保険に入る人々がリスクを冒しがちであるというのは、保険会社にとってよく知られた事実だ。家屋の保険に入っている人は、火災報知器を確認する回数が少なくなる。健康保険は、健康に悪い飲食を促進する。1963年にケネス・アローがこの「モラルハザード」現象について記したことで、経済学者たちはそれを初めて認識した。

 モラルハザードは、インセンティブがおかしくなった時に生じる。スティグリッツ氏はノーベル賞受賞記念講演で、旧来の経済学はインセンティブを必要以上に褒め称えたが、それについて驚くほど何も言及してこなかったと述べた。この世が完全に公明正大であれば、契約で行動を正確に規定できるので、誰かにインセンティブを与えなくてはならないと考える必要はない。一方、情報が非対称で、彼らが何をしているのか観察できない時、利害が一致しているか(小売商人は安物の部品を使っていないか? 従業員はサボっていないか?)いちいち確認しなくてはならない。

 このような事態は、「プリンシパル=エージェント(使用者=被用者)」として知られる問題を提起する。使用者(例えばマネージャー)は、彼がいつも監視できるわけではない時に、被用者(例えば従業員)を、いかにして意のままにコントロールできるか? 従業員に一生懸命働かせるもっとも簡単な方法は、彼に利益の何割か、あるいはすべてをあげることである。例えば、美容師は、しばしば店の一角を借り、その収入を自分の物にする。

 しかし、一生懸命働くことが、成功を保証するとは限らない。例えば、あるコンサル会社の売れっ子アナリストがあるプロジェクトに入札して素晴らしい仕事をしたにも拘らず、結局そのプロジェクトはライバル会社に行くことだってある。そこでのもうひとつの選択肢は、「能率給」を支払うことだ。スティグリッツ氏と、もうひとりの経済学者、カール・シャピーロ氏は、企業が、従業員に自分の仕事により高い価値を感じてもらうために、ボーナスを支払っている可能性を示した。逆に、もしもサボっているのが見つかってクビになれば、その損失はより大きくなるので、ボーナスは従業員に責任逃れをさせにくくするだろう。この考察は、経済学の基本的な問題を説明するのに役立つ。労働者が、失業中で仕事を欲している時、どうして誰かが雇いたくなるまで賃金は下落しないのか? ひとつの答えは、市場の平均以上の賃金がアメとして、結果として生じる失業がムチとして機能しているからだ。

 そしてこのことは、より深遠な問題を明らかにする。アカロフ氏とその他の情報経済学の先駆者たちが登場する以前は、経済学においてしのぎを削る市場では、価格は限界費用(訳注:生産量を小さく一単位だけ増加させたとき、総費用がどれだけ増加するかを考えたときの増加分。企業が利潤最大化を達成している時には、限界費用と限界収益が一致する生産量となっている。)を反映していることを前提としていた。コスト以上の値をつければ、競争相手にチャンスを与える。しかし、情報が非対称な世界では、スティグリッツ氏によれば、「良い行動は、他の場所で得られる以上の稼ぎがあることで促進される」。つまり、従業員に解雇されたくないと思わせるために、賃金は他の仕事で得られる額より高くなくてはならない。そして、企業は、品質に投資しているのであれば、自らが作り出す製品の品質が低かった場合に、顧客を失うことをより辛く感じなくてはならない。そのため、不十分な情報しかない市場では、価格は限界費用と等価にはならないのである。

 こうして、情報の非対称性の概念が、経済学を一変させてしまった。レモンの論文が3回にわたって掲載拒否されてから50年近く経った現在、その考察は、経済学者と経済政策に大きく関与し続けている。職を見つけたいと思っていて、良いクレジット履歴を持っている、ワシントンの若い黒人の誰にでも良いから、聞いてみるといい。

ロシアの外交政策/空っぽの超大国

The Economist の記事を訳出しました。
Russian foreign policy: A hollow superpower
原文はこちらから読めます。


ロシアの外交政策
空っぽの超大国
シリアにだまされるな。ウラジーミル・プーチンの外交政策は弱さから生み出され、テレビのために用意されている

2016年3月19日

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歓声にわく群衆がロシア国旗を振る。伝統的な衣装を纏った女性たちが、帰還したパイロットに焼きたてのパンを与える。テレビに映し出された映像から判断すると、ウラジーミル・プーチンは、今週、シリアで素晴らしい勝利を収めたということになる。軍事行動は完遂された、という思いがけない宣言の後、プーチン氏は、停戦と和平交渉の開始に対して賞賛を求めている。彼は自分の軍隊を誇示し、民間人の命を顧みず、彼の盟友、バッシャール・アル=アサドを助けた(アサド氏自身は不要だったとはっきり言うかもしれないが)。彼は、欧州連合(EU)の敵対する国々にシリア人を追い散らし、難民を「武装化」させた。そして彼は、一貫してシリア内戦の深刻さと、それが中東とヨーロッパに存在するアメリカの同盟国にもたらす脅威を把握できないでいたバラク・オバマを出し抜いた。

しかし、良く見てみると、ロシアの勝利は虚しく聞こえる。イスラム国(IS)は存続している。平和は不安定だ。楽観主義者でさえ、ジュネーブの外交が成功することを疑っている。最も重要なのは、プーチン氏は、プロパガンダの重要なツールを使い果たしたということだ。本紙のブリーフィングで解説しているように、ロシアの大統領は、心配する市民に向けて、困難な状況にある自分たちの国が、最初はウクライナで、最近ではアレッポ(訳注:シリア第2の都市)の上空で、再び偉大な大国になったと信じ込ませるために、興奮をかきたてる戦場の映像を作り上げた。西側諸国にとっての大きな問題は、彼が次の芝居をどこで上演するかだ。

ロシアを再び偉大な国にする

プーチン氏のロシアは、彼が見せかけているよりも脆い。その経済は衰退している。プーチン氏が初めて大統領になった2000年以降の原油価格の上昇は、彼に、自由に使える棚ぼた的な輸出収入、1兆1,000億ドルを提供した。しかし、原油価格はピークの4分の1に下落した。プーチン氏がウクライナを攻撃した後に課された制裁措置により、ロシアはさらに引き締められた。生活水準は、過去2年間、下降しており、依然としてそれは続いている。2014年1月時点での平均給与は850ドル/月だったが、1年後には450ドルになった。

プーチン氏は、経済が衰える前でも正当性を失いつつあった。2011年から2012年にかけての冬に、大勢のロシア人が、自分たちの国を公正な選挙のある近代国家にすることを要求してデモを行った。プーチン氏の返答は、クリミアを併合し、ソ連崩壊(彼が言うところの、20世紀で「最大の地政学的な大惨事」)後におけるロシアの偉大さの回復を誓うというものだった。彼の計画は、2010年に7,200億ドルを投入して兵器を刷新し、軍隊を近代化することであり、敵対する西側諸国に対してロシアの守りを固めるためにメディアを利用することであり、外国に介入することだった。

ウクライナとシリアでの軍事行動で、彼はロシアはアメリカと同等であり、ライバルであるように見せかけた。このことは一般のロシア人の間で受けが良いだけでなく、重大なメッセージを含んでもいる。プーチン氏は、弱い状態にあるロシアが、アメリカの普遍的な民主主義の言論によって政権を打倒しようとする欲求(と彼が考えるもの)に影響されるのを恐れている。彼は、ウクライナとシリアの両方で、アメリカが、後に続いた混乱を抑えることができなかったので、大胆にも政府の転覆をそそのかしたのだと考えている。彼は、そこでの革命が失敗するのを見られることを恐れてか、あるいは、ロシア自体がいつか国内の革命に打倒されるかもしれないことを恐れて、部分的に介入した。

これまでのところ、彼の計画はうまくいっている。一般的なロシア人は、クレムリン支持の放送メディアによって欺かれ、国家の誇りにとって慰めとなる材料を喜んで求めてきた。プーチン氏の支持率は、欧米のほとんどの指導者よりもはるかに高く、80%以上を維持している。しかし、冒険主義の麻薬の効き目はすぐに薄れる。昨年の10月以来、国が正しい方向に向かっていると感じている有権者の割合は61%から51%に減少した。ロシア人はウクライナにうんざりしている。シリアはいまがピークだ。遅かれ早かれ、メディアは軍事行動を切望するだろう。ウクライナ人は再びすくみ上がっている。

このことは西側諸国にとって何を意味するだろう。これまでアメリカは、少なくとも、プーチン氏の目的を誤解してきた。秋には、オバマ氏は、シリアはロシアにとって「泥沼」化するだろうと予測した。最近、彼は、『アトランティック』誌の取材に対して、ロシアの度重なる武力行使は弱さの表れであると語った。それは当たっているが、それは(オバマ氏が示唆するように)、プーチン氏が、外交政策の目標を説得によって達成できていないからではない。彼にとって、軍事行動は、それ自体が目的なのだ。彼はニュースの放送枠を埋めるために戦闘機の映像を必要としている。クレムリンは、国家建設を目論んでいる訳ではないので、シリアに泥沼化はあり得ない。

オバマ氏は、ロシアをその必然的な衰退に委ねておけば良いと考えている。彼は、プーチン氏はわんぱくな子供のようなもので、アメリカの思いやりによって報われていると考えている。しかし、シリアの事例は、オバマ氏が、地域の指導者たちがアメリカの力にただ乗りするのをやめて集団的利益のために協力するのを期待して距離を置いている隙に、いかにして権力の空白地帯が、イランやISのような撹乱者と、次のプロパガンダのネタを求めているロシアによって埋められたかを示している。

それゆえ、西側諸国は備えておく必要がある。アメリカがヨーロッパで軍事力を強めていることは歓迎できる。ヨーロッパのNATO加盟国は、(どのような決意表明も不必要にロシアを挑発するものとして捉えるイタリアなどの国は心境の変化を必要とするが)バルト三国に軍隊を置くことによって、同様の気概を示すべきだ。問題が生じた場合、NATOとEUはすぐに対応し、ロシアがNATOの土台となる集団安全保障を突き崩すことができないことを示す必要がある。

キエフへの支援を続けよう

ロシアの注目の的であり、ほとんどロシアそのものと言って良い国、ウクライナが重要な試金石となるだろう。ウクライナが成功したヨーロッパの一国となれば、ロシア人が自由民主主義を実現できる可能性を示すことになる。反対に、ウクライナが国として失敗すれば、ロシアは独自の「正統派」の文化に属しており、自由民主主義がロシアに教えることは何もないというクレムリンの主張を強化することなる。

残念ながら、アメリカとEUは、キエフ(訳注:ウクライナ首都)に疲れきっている。彼らは、ウクライナを助けるためにあらゆる手を尽くす代わりに、ウクライナの政治家たちが、自分自身を改革できると証明するのを期待している。それは間違っている。彼らは財政援助と技術的なアドバイスを提供する必要がある。彼らは腐敗の根絶に力を貸すべきだ。そして、彼らは忍耐強くあらねばならない。

最終的には、ロシアの深刻な衰退が、その攻撃性を制限するだろう。しかし、当分の間は、核武装したプーチン氏が、旧ソ連の影響範囲に自分自身を売り込もうとやっきになっている。オバマ氏の大統領任期最後の年に、シリアの成功から間もないプーチン氏は、西側諸国にもう一度、試練を与えることになるかも知れない。

イギリスとEU/Brexitの本当の危険性

The Economist の記事を訳出しました。
Britain and the European Union: The real danger of Brexit
原文はこちらから読めます。


イギリスとEU
Brexitの本当の危険性
EU離脱はイギリスを傷つけ、西側諸国に大きな打撃を与えるだろう

2016年2月27日

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ついに戦いの火ぶたが切って落とされる。デイヴィッド・キャメロンは、6月23日にイギリスのEU離脱の是非を問う国民投票の実施を呼びかけ、残留を強く求めて運動することを約束した。分裂した保守党を結束させるための策略として始まったものが、驚くほどの接戦となりつつある。賭博市場はイギリス人が離脱する方に2対1でオッズをつけている。ある世論調査は、有権者が均等に分割されていることを示している。何人かの閣僚はイギリスのEU離脱(Brexit)のために運動を展開している。いまから4ヶ月のうちに、イギリスがヨーロッパ大陸から切り離される本当の機会が訪れる。

それは、イギリスにとってというだけにとどまらない、大きなニュースだ。離脱への一票は、短期的には確実に、そしておそらく長期的にも、イギリスの経済にダメージを与えることになるだろう。(金融市場はそのような見通しへの警戒から、今週、ポンドは対ドルで、2009年以来で最低のレベルにまで下落した。)それは、テロリストや国外勢力の脅威がこの数年で最も深刻であるいま、イギリスの安全を危険にさらすことになる。そして、イギリス人は、主権を取り戻すどころか、外部からより内部からの方がその動向に影響を与えることができるはずの強力なクラブの会員ではなくなり、影響力を手放すことになる。この提案された自傷行為を不思議に思っているイギリス国外の人びとは、自分たちのことも心配する必要がある。EU離脱(Brexit)は、すでに崖っぷちにある大陸、ヨーロッパに大きな打撃を与えるだろう。それは、世界第5位の経済大国をその最大の市場から切り離し、5番目に大きい防衛浪費大国をその同盟諸国から分離することになる。より貧しく、より安全性も低い、分裂した新しいEUは、より弱体化したものになる。アメリカとヨーロッパの均衡する力に依存する西側諸国も、同様に弱体化するだろう。

夢よ、現実と向き合いたまえ

EU離脱(Brexit)支持者は、イギリスはヨーロッパに足を引っ張られていると主張する。すなわち、かせを外されれば、イギリスは開放経済として飛翔することができ、EUを含めた世界中すべてと、取引を続けることができるはずであると。それは理論的には可能だが、本紙のブリーフィングで述べているように、実際にはそうはならない。少なくとも、EUは、EU懐疑派が放棄しようとやっきになっている規則を遵守する見返りとしてのみ、その単一市場への全面的なアクセスを認めるだろう。ノルウェーとスイス(そのEU間の協定を、多くのEU離脱支持者が賞賛している)が判断基準である場合、EUはまた、市場への自由なアクセスを許可する前に、人々の自由な移動とEU予算への多額の支払いを要求するだろう。

さらに悪いことに、EUには、他の国がEUから離脱することを阻止するために過酷な示談金を求める強い動機がある。ヨーロッパがイギリスをその逆より必要としているというEU離脱(Brexit)支持陣営の主張には現実味がない。EUはイギリスの輸出先のほぼ半分を占めるのに対し、イギリスはEUの輸出先の10%未満を占めるにすぎない。そして、英国の貿易赤字は主にドイツとスペインに対してであり、新たに貿易協定を結ばなければならない他の25ヵ国に対してではない。

官僚や裁判官が銀行員の賞与から労働時間の制限にいたるあらゆることに口を出すヨーロッパから主権を取り戻せるのであれば、これらの苦難は、EU懐疑派の一部にとっては価値があるだろう。しかし、その獲得できるもののいくらかは幻想だろう。グローバル化した世界では、権力は必然的に蓄えられ取引される。イギリスは北大西洋条約機構(NATO)や国際通貨基金(IMF)、その他多くの権力を共有し規則を設ける機関に所属することで得られる影響力と引き換えに、主権を放棄することになる。より大きな利益と引き換えに、貿易や原子力発電、環境に関する条約へ調印し、国外の人びとと共同で設定した規制に従うことになる。EUの外に置かれたイギリスは傍観者のようになるだろう。概念的には独立するが、実際には、イギリスが策定に何の役割も担っていない規則に縛られたままになる。それは、より純粋ではあるが、むしろより無力な類の主権だ。

唯一の例外は、多くのEU懐疑派が最もコントロールしたいと望む領域、移民だ。イギリスの移民の半分はEUから来ているが、政府は、彼らを止めるためにほとんど何の手も打てていない。イギリスがEUを離脱すれば、それができる。しかし、そうするには二重のコストがかかるだろう。EUからの移民を止める権利を得ることは、ほぼ確実に、単一市場への全面的なアクセスを失うことを意味する。そして、移民の数を減らすことは、フランスの銀行家やブルガリアの建築業者、イタリアの医師に依存しているイギリスのビジネスや公共サービスにダメージを与えることになる。

世界的な関心

長期的なコストは、経済を超えて波及するだろう。EU離脱(Brexit)が連合王国自体を解体してしまったとしてもおかしくはない。イングランドよりもユーロを愛するスコットランドは、再び独立に向けて動揺するだろう。イギリスがヨーロッパから離脱することを決定した場合、スコットランドの主張はついに筋が通る。EU離脱(Brexit)はまた、北アイルランド(その20年にわたる和平交渉はアイルランドとイギリスの両国がEUのメンバーであるという事実に依拠してきた)を、危険なほど不安定にする可能性がある。アイルランド政府は、イギリス国外で最も遠慮なくものを言うイギリスのEU残留キャンペーンを支持する存在のひとつだ。

アイルランドが影響をこうむる唯一の国ではない。ヨーロッパの指導者たちは、EU離脱(Brexit)が、すでに移民やユーロ危機など深い問題を抱えるクラブを、さらに弱体化させるであろうことに気づいている。そして、ヨーロッパはイギリスの影響力がなくなることでより貧しくなる。つまり、よりドイツの支配が強くなる。そして、確実に、リベラルな人びとが減り、保護貿易主義者と内向きな人びとが増えるだろう。ヨーロッパのアメリカへの繋がりはより希薄になる。なかでも、その最大の軍事力と、最も重要な外交政策の実行力の損失は、世界でのEUの存在を著しく弱めることになるだろう。

イラン核合意やイスラム教徒のテロの脅威、ロシアに対する制裁のいずれにとっても、EUは、西側諸国の外交・安全保障政策上、ますます重要な存在となっている。イギリスなしでは、EUがグローバルな課題に対応するのはより困難になるだろう。ロシアからシリアを抜けて北アフリカへと至る問題を抱えた周辺地域に囲まれた西側諸国にとっての大きな損失だ。EU離脱(Brexit)にロシアのプーチンが注目しており、アメリカのバラク・オバマが注目していないのは不思議ではない。EU懐疑派がこれに無関心であるというのは浅はかである。その地理が政治とは異なり動かしがたいものである以上、弱体化したヨーロッパがイギリスにとって良いものとならないのは明白だ。

このように、多くのことが現在進行している際どい票争いにかかっている。本紙同様、自由貿易や移動の自由を信じる人びとにとっては、EU残留で得られるイギリスのメリットは疑いようがない。何よりEUに懐疑的な人びとがいま認識しなければならないことは、EU離脱(Brexit)はヨーロッパと西側諸国をも弱体化させるだろうということだ。キャメロン氏の大いなるギャンブルの賭け金は高い。彼が失敗した場合、その損失は広範囲で感じられることになるだろう。

大麻規制/ドラッグの正しい使い方

The Economist の記事を訳出しました。
Regulating cannabis: The right way to do drugs
原文はこちらから読めます。


大麻規制
ドラッグの正しい使い方

大麻合法化の流れが優勢となったいま、議論はより難しい規制へと向う

2016年2月13日

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その光景は、ハシシュによって引き起こされる幻覚のように現実離れして見える。幾重にも連なる緑、芽を出す植物、それを手入れする白衣をまとった技術者たち。彼らが当局に煩わされるのは、税金を納める時だけなのだ。大麻はかつて秘密裏に栽培され、殺人をも厭わないカルテルによって取引され、刑務所に収監されるリスクを冒す消費者によって喫煙された。今日では、世界中の国が医療目的のためにドラッグのライセンスを取得しており、いくつかの国は、それをさらに推し進めようとしようとしている。これまでのところ、アメリカの4つの州(訳注:コロラド州、ワシントン州、アラスカ州、オレゴン州の4州と、首都ワシントン)が、レクリエーション目的での大麻の使用を認めている。小国ウルグアイは、G7に加盟している大国カナダにより、合法大麻クラブに間もなく迎えられるだろう。メキシコから南アフリカにいたる議会は、独自の改革について議論している。

合法化は禁止よりも良いと主張してきた(本紙を含む)人びとは、大麻についての無益な争いが収束に向うことを歓迎する。大麻はその規模3,000億ドルの違法な麻薬市場のほぼ半分を占め、世界の2億5,000万人の違法薬物使用者の大多数が選択するドラッグだ。それを合法化することは、組織犯罪からまさしく最大の収入源を断つ一方、消費者である良き市民を保護し増やしていく。

しかし、禁止を取り消すということは、大麻規制のあり方について複雑な議論が開始されるということでもある。官僚視点での詳細、つまり、どのように課税するか、どのような多様性を認めるか、誰が誰に売るのか、これらの問いは、合法化の相反する目的のうち、どれにもっとも価値を置くのか、政治家に決定を強いる。カナダのような草分けは、世界の他の国々がマネすることになるであろうルールを作っている。一度策定されれば、覆すのは難しいだろう。これらの決定を正しく行うことが、最終的に合法化が成功するか失敗するかを決定付ける。

ハシシュケーキを手に取って食べてみよう

合法化の支持者には、個人や商業の自由を最大化したいリバタリアンと、禁止は実践的な合法化と規制よりも有効性に欠けることを理解する保守派とが、奇妙に混ざりあっている。ヒッピーと強硬派は、合法化のための強力な同盟を形成した。しかし、大麻の取引きが正確にどのように機能するのか問われた時、例えば、どの割合で課税し、消費量に制限を設けるのかどうかを問われた時、彼らは自分の意見が矛盾していることに気づくだろう。

リバタリアンは、なぜ、致死量が確認されていない大麻が、自由に情報に基づいて決定できる大人に対して、完全に規制されなければならないのか、疑問に思うかもしれない。気に留めておくべき、ふたつの根拠がある。第1に、大麻は使用者の少数に依存性を誘発すると考えられるので、喫煙するかどうかの決定は自由意志に基づくとは言いきれないこと。第2に、大麻の違法性は、その長期的な影響についての研究は不確かであるので、十分に豊富な情報を与えられた決定でさえ、不完全な情報に基づいていること。決定が、常に、自由な訳でもなく、十分に情報が与えられている訳でもない場合、アルコールとタバコがそうであるように、そのような状態は消費者を遠ざけることで正当化される。

したがって、リバタリアンは譲歩する必要がある。国は、消費量を抑制するため、消費者を最初に非課税のブラックマーケットに向かわせない程度にではあるが、使用者に課税することができる。税の「適正な」レベルは、国の状況によって異なる。乱用がまれで、ブラックマーケットが恐ろしく強大なラテンアメリカでは、政府は低価格を維持する必要がある。問題のある使用がより一般的で、ドラッグディーラーが国家安全への脅威というよりは悩みの種のひとつに過ぎない豊かな国では、価格は高くなるかも知れない。モデルとなるのは禁酒法後のアメリカだ。密売業者を追い出すために、酒税は最初は低く設定された。後に、マフィアがいなくなってから、それは値上げされた。

どの製品を認可するかを決める際にも、同様のトレードオフが適用できる。大麻は、もはや単なるマリファナタバコを意味しない。合法的な起業家は、喫煙だったら避けていたであろう顧客にまで手を伸ばし、マリファナの入った食べ物や飲み物を製造している。超強力な「濃縮物」(訳注:大麻を樹脂状、粉末状に濃縮したもの)が、吸入や服用目的のために売られている。食べ物や効き目の強い品は、違法なディーラーを廃業させるのを助けるが、より多くの人びとにより強力な形でドラッグを摂取させるリスクもある。出発点は、すでにブラックマーケットで手に入るものだけを合法化することであるべきだ。そこで効力を発揮するのは、制限や課税だ。蒸留酒のように高く課税されれば、ビールのようには手に入りにくくなる。ここでも、その混ぜ具合は異なってくるだろう。ヨーロッパは、濃縮物を禁止することができるかも知れない。しかし、アメリカは、すでにその味を覚えている。もしも濃縮物が非合法化されれば、マフィアが喜んで参入してくるだろう。

ある点においては、政府は断固として反自由主義であるべきだ。広告はアンダーグラウンドではまず存在しないが、合法の世界ではそれは新たに広大な需要を喚起する可能性がある。それは禁止されねばならない。多くの国が風味のついたタバコやアルコールの入ったお菓子を禁止しているのと同様に、魅惑的な包装や、子供たちにアピールする大麻のお菓子などの製品は禁止されるべきだ。国は、ハイになるためのもっとも害の少ない方法を促進させるために、税制と公教育を使うべきだ。合法的な市場は、煙の肺へのダメージを低減する電子タバコに対する、マリファナからの回答とも言える製品をすでに作り出している。

アメリカでは、連邦政府が大麻を禁止しているので、いくつかの小さな州の、過度の重荷を背負わされた公務員が、最初の規制を策定することになった。効き目をテストすることや、安全に運用できる限度を設けること、その他多くの問題を解決することは、通常であれば彼らにアドバイスする連邦政府機関(例えば、世界で最も先進的な医薬品の監視機関、アメリカ食品医薬品局のような)が手の内にあれば、これほど楽なことはない。そして、連邦政府が大麻広告を抑制しないことは、憲法修正第一条を盾にとる企業により、ドラッグがタバコより広く売り込まれることを意味する。連邦政府の静観政策は慎重に聞こえるが、実際には無責任なだけだ。

慎重に、しかし大胆に

同様に、合法化に賛成する運動家も反対する運動家も、新しい現実に合わせる必要がある。ドラッグを禁止したがる人びとは無駄なあがきはやめて、(禁止を求めるのではなく、飲酒への高い課税を求めてロビー活動をする最近の禁酒運動のように)害を最小限に抑える合法化のための運動を開始すべきだ。一方、合法化する側は、これまでは組織的な犯罪者より価値があると認められさえすれば良かった合法的なマリファナ産業が、今日では自分の縄張りを用心深く見張っている他の「不道徳な」産業と同じくらいの精査を必要としているという事実に目を向ける必要がある。ある日一大マリファナ産業(訳注:原文ではBig Cannabis。タバコ産業を揶揄する言葉、Big Tobaccoのもじり)を受け入れざるを得なくなるより、最初の段階で大麻についての方針を固めておく方が良いだろう。

人工知能の夜明け

The Economist の記事を訳出しました。
Clever computers: The dawn of artificial intelligence
原文はこちらから読めます。


賢いコンピュータ
人工知能の夜明け

強力なコンピュータが、人類の未来を変える。危険にまさる将来性をいかに担保するか

2015年5月9日

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「完全なる人工知能の開発は人類の終焉をもたらすかもしれない」と、スティーブン·ホーキングは警告している。イーロン·マスクは、人工知能、あるいは、AIの開発が、人類が直面する最大の実存的脅威となることを恐れている。ビル·ゲイツは、AIを警戒するように人々を促している。

人の手によって生み出された忌わしいものが、人間の主人となる、または人間に手を下すことになる恐怖は、新しいものではない。しかし、有名な宇宙学者や、シリコンバレーの起業家、Microsoftの創始者といった、ラッダイトとは言えない人たちによって表明されることで、またGoogleやMicrosoftといった大手企業によるAIへの大規模な投資を背景にして、そのような懸念は、新たに重みを増してきている。あらゆる人々のポケットの中にスーパーコンピュータがあり、あらゆる戦場をロボットが見下ろしている光景を科学小説的な絵空事として切り捨てることは、自己欺瞞のよ​​うなものだ。問題は、いかに賢く心配するか、だ。

あなたは私に言語を教えた・・・

最初のステップは、コンピュータにいま何ができるのか、将来的に何ができるようになるのか、を理解することだ。処理能力の向上、デジタル利用可能なデータが豊富になってきたおかげで、AIはその能力の進歩を謳歌している。今日の「ディープ・ラーニング」システムは、人間の脳におけるニューロンの層を模倣し、膨大な量のデータを計算処理することにより、人間ができるのとほぼ同様に、パターン認識から翻訳に至るまで、任務を実行するために自分自身を学習させることができる。その結果、かつては理性と呼ばれたもの、写真を理解することから『フロッガー』のようなビデオゲームをプレイすることまで、が、いまやコンピュータ·プログラムの範疇となっている。2014年にFacebookから発表されたアルゴリズム、ディープ・フェイスは、97%の確率で、画像内の個々の人の顔を認識することができる。

決定的なのは、この能力の幅が狭く、限定的であることだ。今日のAIは、理性がいかにして自律性や興味、欲望といったものを人間に備わせているのか、ということを特定しようとする深淵なる好奇心なくして、強大な計算力によって、見せかけの知性を作り出している。コンピュータにはまだ、従来の人間の感覚における知性と関係する、推測し、判断し、決定するための、広範に及ぶ流動的な能力に近づくための何かが備わっていない。

しかし、AIはすでに、人間の生活に劇的な変化をもたらすのに十分なほど強力だ。それは、人にできることを補う形で、人間の試みをすでに強化している。チェスを見てみれば、コンピュータは今やどんな人間よりも良いプレーができる。しかし、世界最高のプレイヤーは機械ではなく、チャンピオンのギャリー・カスパロフが「ケンタウロス」と呼ぶもの、つまり、人間とアルゴリズムの共同チームである。このような共同作業は、すべての分野で当たり前になるだろう。AIの助けを借りて、医者は医療写真で癌を発見するための大幅に強化された能力を獲得するだろう。スマートフォン上で使われている音声認識アルゴリズムは、途上国の読み書きができない何百万の人々にインターネットをもたらすだろう。コンピュータの助手が、学術研究のための有望な仮説を提案するだろう。画像分類アルゴリズムは、ウェアラブルコンピュータによって、人々の現実世界の視界上に、有益な情報を重ねて表示できるようになるだろう。

しかし短期的に見ても、すべてがポジティブな結果になる訳ではない。例えば、独裁国家と民主国家の両方において、AIが、国家の安全保障機構にもたらす力を考えてみよう。何十億もの会話を傍受し、群衆の中から声や顔ですべての市民を選別できる能力は、自由にとって大きな脅威となる。

そして、社会にとって広範囲に及ぶ利益が存在する場合であっても、多くの人はAIの利益に与れない。元来、「コンピューター」の仕事である計算処理をやっていたのは、上司のために無限の計算を行う、途方もない仕事をあくせくこなす人たちであり、多くの場合は女性だった。まさにトランジスタが彼らの役割を奪ったように、AIがホワイトカラーの労働者をまとめて追い出すだろう。確かに教育と訓練は役立つだろうし、AIの助けを借りて得た富が、新規雇用を生み出す新たな分野に費やされるだろう。しかし、労働者は変転を余儀なくされる運命にある。

しかし、こういった監視と労働者の変転が、ホーキング、マスク、ゲイツ各氏が心配していることではなく、また、近頃ハリウッドが映画館で公開した未来のAIを描いた映画のプロットに刺激を与えているものでもない。彼らの懸念は、総じて、より遠い未来を見据えたものであり、より終末論的である。それは、 人知を超えた認知能力や、ホモサピエンスのものと矛盾する興味を持つ意志を持った機械への脅威である。

このような人工の知的生命はまだ現実離れしている。実際のところ、それを作り出すことは永遠に不可能かもしれない。1世紀に渡り、脳を突つきまわしてきたにもかかわらず、心理学者や神経科医、社会学者、哲学者は、未だ、どのように理性が形成されるのか、あるいは、理性とは何なのか、といったことを理解することから遠くにいる。そして、限定された知能を用いたありふれたビジネスの場合であっても、それが興味と自律性を持った場合、何が起こるかわからない。所有者よりも自分をうまく運転できる自動車は、いかにも便利そうだ。一方、どこに行くか自分の考えを持っている自動車は、それほど便利そうには思えない。

・・・私はののしる方法だって知っている

しかし、ホーキング氏が言う「完全なる」AIが実現する見込みはまだ薄かったとしても、どのように対処するのか計画を立てておくことは、社会にとって賢明な判断といえる。それは、思っているよりも簡単にできる。とりわけ、人類は長きにわたり、人を超えた能力と独自の興味をもつ自律的存在を創造してきたからだ。官僚や市場、軍隊といったものは、組織化されていないひとりの人間にはできないことができる。すべてが、機能するために自律性を必要としている。すべてがコントロール不能になりうるし、正しいやり方で用意され、法律や規制によって制御されていない場合、大きな害となりうる。

これらの類似点は、AIを恐れている人たちを安心させるはずだ。それらはまた、社会が安全にAIを開発するための具体的な方法を示唆してもいる。軍は民間人の監視を必要とし、市場は規制され、官僚は透明性と説明責任がなければならないのと同様に、AIシステムは綿密な監視に開かれていなくてはならない。システム設計者は、あらゆる状況を予測することはできないので、動作を停止させるスイッチも用意しておかなければならない。これらの制約は、発展を阻害することなく適用することができる。核爆弾から交通ルールに至るまで、人類は、他の強力な技術革新を制約するために技術的な工夫や法的な制限を設けてきた。

最終的に意志を持った人間のものとは異なる知性を生み出す魔物は、あまりに途方も無いので、議論に影を投げかける恐れがある。確かに、危険はある。しかし、そういった危険に、AIの夜明けがもたらす大いなる恩恵を霞ませてはならない。

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