防衛する日本

The Economist の記事を訳出しました。
Defending Japan: Collective insecurity
原文はこちらから読めます。

記事の中では、安倍内閣が憲法解釈を集団的自衛にまで拡大させようとしていることについて肯定的に書かれていますが、靖国参拝のような「思慮にかけた」行動を見るにつけ、外交下手な日本が本当に近隣諸国に理解を求めながら改革を進めていけるのかどうか、多いに疑問が残ります。


防衛する日本
集団「不安」保障
首相が日本を平和主義から引き離そうとするのにも一理ある

2014年5月17日

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日本の戦犯を祀る神社への彼の思慮に欠けた参拝を鑑みれば、近隣諸国が、日本の長年にわたる平和主義をこねくり回そうとする安倍晋三の計画を、深い疑念を持って見ていることは驚くに値しない。しかし、彼が今週発表した、日本が同盟国を防衛することを初めて許容しようとする提案は、日本を正しい方向へと導いている。その提案は、精力的な外交を伴うものである以上、地域を、不安にではなく、より安全にする必要がある。

『時代は変わる』
1945年の敗戦以来、日本は東アジアの平和と繁栄に貢献し、地球市民の模範となってきた。アメリカ人の占領者によって書かれた平和主義の戦後の憲法は、いくつかの点で賞賛に値する。その心髄である憲法九条には、日本は、国際紛争を解決するための武力行使を永遠に放棄するとある。この誓約は、日本の軍国主義が再びアジアにはびこることはないと近隣諸国を安心させる助けとなり、また、アメリカに西太平洋を見張らせることにもなった。その安全の保証が、今度は、日本人に、軍隊の制服を投げ捨てさせてサラリーマンのスーツを選ばせ、繁栄の道へと向かわせた。多くの日本人にとって、日本国憲法はプライドの源泉というだけではない。それは国の宝なのだ。

しかし、危険が高まりつつあり、日本の取り決めは時代遅れのものに見えてきつつある。脅威は、技術者たちが核爆弾を開発し終え、現在はそれを搭載するためのミサイル技術に取り組んでいる、北朝鮮から来る。そして中国は不満を溜め込み、軍事力を高め、東シナ海沖にある尖閣諸島の日本の長年にわたる支配に抗議している。

国内では、当惑しながら中国との衝突を避けようとしている超大国アメリカの、安全保障の不確かさに気を揉んでいる。疑念は、お互いが抱いている。一部のアメリカの戦略家は、日本がアメリカの安全保障にただ乗りしていることにうんざりしている。今日の憲法解釈では、日本は、カリフォルニアに向かって日本上空を飛んでいく北朝鮮のミサイルを撃墜することは許されない。朝鮮半島で戦争が起こっても、日本は、戦地に赴くアメリカの飛行機に燃料を補給することさえできない。アメリカの戦略家たちは、日本に、同盟の安全保障上、より大きな役割を果たしてもらうことを望んでいる。

最近の日本の指導者の誰よりも、安倍氏はこれらのことを理解している。自国の安全保障を強化するために、彼はすでに、同国初の国家安全保障局長を任命し、国家安全保障戦略を策定するなど、日本の慎重な基準に照らせば大胆な策を講じてきた。彼の最新の提案は、憲法を改正するのではなく、憲法が許容できること(特に、同盟国の援助に関わる集団的自衛の原則を指すが)を再解釈することだ。

中国は、自国の公共放送は行進する軍隊と鋭い音を立てて飛ぶジェット機で溢れているのに、日本の軍国主義を非難して、そのようなやり方は不正だと糾弾する。その誤解はほとんど故意に見える。平和維持活動以外の目的で、日本海域を越えて日本が軍隊を配備する筈がない。こういった比較的小さな変化を受け入れてもらうために、安倍氏が国内の人びとを苦心して説得していることが、日本が好き好んで戦争をしかけたいと望んでいる訳ではないことを示している。この新しい方針の主な効果は、日本が、アメリカ軍とより緊密に、兵站や諜報活動などについて連携しやすくなることだ。

他の点では、安倍氏の提案に取り立てて目を引くところはない。しかし、戦時中の日本が引き起こした大混乱や、現在、近隣諸国と不安定な関係にあることを考慮に入れると、改革は活発な外交と平行して進めていく必要がある。安全保障を、弱めるのではなく、強化しようとするのであれば、安倍氏は、日本の意図は、軍国主義復活の第一歩にあるのではなく、限定的で悪気のないものであると、地域を安心させる必要がある。

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