E-ducation

The Economist の記事を訳出しました。
Teaching and technology: E-ducation
原文はこちらから読めます。

教育工学(EdTech)の分野は、ソーシャルアプリ開発のノウハウを応用できる部分が大きいため、とても注目しています。


教育とテクノロジー
E-ducation

長らく停滞していた技術革命がついに進展を見せる

2013年6月29日

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 1913年、トーマス·エジソンは「映像で、人類の叡智すべての領域について教えることができる」と言い、教室では本はすぐに廃れるだろうと予測した。しかし実際には、映像は、教育にほとんど影響を与えなかった。最近まで、同じことがコンピュータでも言えた。1970年代以降、シリコンバレーの先見の明を持つ者たちが、自分たちの産業がオフィスと同じくらい教室を根本的に変えると主張し、それを根拠に学校へ多くのテクノロジーを売りつけてきた。子どもたちは、調査に、レポートのタイピングに、そしてカンニングに、コンピュータを使っている。しかし、教育システムの中核は、中世以来ほとんど変わっていない。つまり、「教壇に立つ賢人」たる教師が、居並ぶ学生に向かって「教え」を説く、というやり方である。トム·ブラウンやハックルベリー·フィンだったら、すぐにそれを見抜き、怖気をふるうだろう。

 今になってようやく革命が進行している。その中心には、「画一的な」教育から、個人に向けた方法に移行するという考え方がある。テクノロジーは、各々の子供たちに、適応性のあるコンピュータ·プログラムによる講義や「著名人」による講義を、異なるスピードで教えることを可能にする。そして、担任教師の役割は、雄弁家からコーチへと移行する。つまり、特に助けが必要な場合に、装置が識別した子供に対して、個別の注意を向けるやり方だ。理論的には教室の役割が「変化」し、基礎的な知識が画面を通じて自宅に提供される一方、授業はその知識を定着させ、磨き上げ、テストする場になる。(今の宿題と同じ方法だが、より効果的だ。)政治家や教師がそれを受け入れさえすれば、多くの子供達へ、より低コストでより良質な教育が約束される。

 なぜ今回の革命はこれまでと違うのか? その理由の大半は、いくつもの大きな変化が同時に起こっていることによる。それはつまり、高速モバイルネットワーク、安価なタブレット端末、低コストで大量のデータを処理する能力、洗練されたオンラインゲームと適応学習ソフトといったものを指す。例えば、継続的なパフォーマンス評価機能を持った新しいインタラクティブなデジタル教科書は、それを使用する生徒が何をどのように学習しているかに応じて、リアルタイムな変化が可能だ。(生徒自身がテストされていることに気づかないことだってあるだろう。)新しいデータ·マイニング·ソフトウェアは、特別な注意がない場合に、いつ生徒が読解や数学でミスするかを予測でき、手遅れになる前に、教師が介入することができる。

Yes we Khan
 高等教育の方が、一歩進んでいる。立ち上げからようやく1年経ったばかりの「大規模なオンライン公開授業」を提供する草分けのひとつ、コーセラ(Coursera)は、現在、全世界で390万人以上の生徒数を誇り、83のパートナー機関によって提供される授業を使っている。大学は、テクノロジーを試すのに熱心だ。イギリスのテレビ講義形式のオープン・ユニバーシティ(Open University)は、現在、創業44年になる。しかし今回は、初等、中等教育がその後を追う。サルマン・カーン氏が、数学のビデオを作ることに集中するためにヘッジファンドの仕事を辞めてから4年後の現在、カーン・アカデミー(Khan Academy)には600万人の登録ユーザーがおり、彼らは毎日300万の問題を解答(または解答しようと)しており、そのカリキュラムは数学意外にも大きく拡大している。それはまた、アメリカの国境をも超えて広がっている。世界で最も裕福な男性のひとり、カルロス·スリム氏は、彼の母国メキシコの小学生のために開発されているカーン・アカデミーのカリキュラムのひとつに出資していると言われている。

 教育工学は、これまで、他にも印象的な支持者を集めてきた。ビル·ゲイツ氏は、これを、教育における「歴史的瞬間」と呼んだ。民間資金も集まってきている。良い面だけを誇張する単なるハイテク好きとは違う、ルパート・マードック氏は、彼のデジタル教育事業、アンプリファイ(Amplify)に、今年、約18億ドルもの損失を許している。これは、アメリカだけでもすぐに440億ドルの価値になるだろうとニューズ・コーポレーションが試算している教育工学市場の覇権を握ることを期待してのことだ。ドバイを本拠地とする教育機関、ジェムズ(GEMS)は、遠隔地の子どもたちに手を差し伸ばすために、インドやガーナでテクノロジーの利用を拡大したいと考えている。

 先行きが見通せない問題もある。多くの親はすでに、「ゆとり世代」を、ゲームをしてばかりいて、いつもコンピュータに向かって、文法のおかしな文章を書き込んでいると非難している。教師たちは教育工学のサービスを利用するかもしれないが、教師の労働組合は、学校がより少ない教師でやっていけることを示唆するものは何でも訝しく思うふしがあり、教育で金を儲けようとするマードック氏のニューズ・コーポレーションのような民間企業を嫌うものだ。プライバシーの心配もある。教育工学を扱う企業は、生徒の個人データの巨大な保管所となってしまう。

うまくいってはいるようだ
 これらの懸念のほとんどは行き過ぎたものだ。営利企業は、長きに渡って、印刷された教科書を販売するビジネスをしてきているし、データ·プライバシー法の適用範囲を学生にまで拡大できない理由はない。しかし、大きな疑問は残る。子どもたちは果たして、より多くを学ぶことになるのだろうか? 今度は、それは、教師にかかっている。最高のテクノロジーでさえ、教師のサポートなくしてはどこにも到達しえないからだ。

 教育工学の有効性は、主にアメリカで証明されている。ほとんどの場合において、教師がしっかり訓練されているとき、それは機能するようだ。教育工学を取り入れているカリフォルニア州サンノゼにあるチャーター・スクールのネットワーク、ロケットシップ(Rocketship)の低所得層の学生は、その州の最も裕福な地域に住んでいる学生の能力を上回っている。様々な試行プログラムで良い成果を出した、カーン・アカデミーの適応性のあるソフトウェア·プラットフォームは、現在、アメリカの最も裕福かつ最高の学力を誇る学区のひとつ、ロスアルトスで利用されている。

 資金不足の公立校が、貧しい学生が学業に追いつくのを手助けするテクノロジーを導入するため資金繰りに苦しむ一方、豊な学校、特に私立校は、教育工学を最も熱心に取り込むので、短期的には格差が助長されることになるだろう。政府は、彼らが導入できるように投資する必要がある。いくらかの投資がされてはいる。韓国では、高速インターネットアクセスは学校では標準となっている。バラク·オバマは最近、アメリカがそれに続くことを約束した。法律は、生徒が、年齢に応じてグループ分けされるのではなく、同程度の学力の生徒と一緒に勉強できるように、改正される必要がある。しかし、多くの政治家にとって、強い力を持った教員組合との対決が、大きな試練となるだろう。

 子を持つ親や納税者がそういった政治家を支えなくてはならない。教育は、テクノロジーが他の仕事にもたらした生産性の向上に、頑なまでに抗ってきた。しかし、この教育工学の波は、それを変えることを期待させる。テクノロジーは、おそらく一世紀以上の間、もう少しで教育を変革させるぎりぎりのところにあり続けてきた。今回こそは、それが実現しそうに見える。

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