Googleと忘れられる権利

The Economist の記事を訳出しました。
Google and the EU: On being forgotten
原文はこちらから読めます。


GoogleとEU
忘れられることについて

忘れられる権利は魅力的に聞こえる。
しかしそれは、問題を解決する以上に、さらなる問題を生み出す。

2014年5月17日

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マックス・モズレーは、多くの人にとっては奇異に見えるかもしれない性的なプレイを楽しんだ。しかし、それは他人がとやかく言うべきことではなかったので、今は廃刊されたイギリスのタブロイド紙が2008年に彼を「病的なナチ乱交」の参加者であると誤報しとき、彼はプライバシーを侵害されたと訴え、勝訴した。その申し立ては、しかし、インターネット上に残り続けている。あなたが「マックス·モズレー」と入力すれば、Google(その会長、エリック・シュミットは本紙の社外取締役である)は親切に検索を補おうとしてくれる。最初の4つの選択肢は、「ビデオ」、「事件」、「写真」、そして 「スキャンダル」だ。彼と同様に、検索エンジンが自分の名前と関連づけようとする誹謗中傷や的外れな見解によって、自分たちの生活が汚されていると感じている多くの人びとは、是正を求めている。

ヨーロッパの多くの政治家はこれに同情的だ。フランスやイギリスなどの国々は、いったん有罪判決が下されれば、犯罪歴を消去することを長らく許容してきた。立法化するには28あるEU加盟国すべての承認が必要だが、欧州議会は「忘れられる権利」を支持している。モズレー氏は、ドイツで、国内のGoogle検索に表示される画像をブロックするための最初の法廷論争に勝利した。

現在、EUの最高裁判所である欧州司法裁判所は、ある象徴的な事件で、この訴訟を後押ししている。スペインの弁護士、マリオ・コステハ・ゴンザレスは、その検索結果が、自分の名前を、すでに決着した訴訟についての1998年の新聞記事と関連づけているといって、Googleを訴えた。裁判所は、他人が保持しているデータについて個人に大きな権利を付与する、制定から19年経ったデータ保護に関するヨーロッパの法律に照らし、Googleは「データ管理者」に相当するとの判決を下した。裁判所は、ある情報が処理された目的、経過した時間を考慮した上で、「不十分な、無関係な、(中略)あるいは行き過ぎた」情報へのリンクを表示しないように、Googleが要求され得ると述べた。もしも要求が断られ場合には、個人は、国のデータ監視局に訴えることができる。

誤解や悪意から犠牲者を守りたいという裁判所の願いは理解できる。しかし、忘れられる権利を行使するのは難しいだろう。ヨーロッパでは、Googleが検索結果を検閲させられたとしても、アメリカでは、合衆国憲法修正第1条にあたる言論の自由に関する条項が、プライバシーへの配慮をいつも踏みにじる。ちょっとした技術的ノウハウがあれば、ヨーロッパのインターネットユーザーでも、アメリカと同様の検索ができてしまうだろう。ヨーロッパは、それを防ぐために、中国のようなファイアウォールを構築したいとは思わないはずだ。

そして、企業に強制的に過去を消去させることが可能であったとしても、それは良い結果よりも、むしろ害をもらたすだろう。それは、自らの過去を隠したがっている人たちの不都合な真実を見つけ出そうとするすべての人たちを妨げることになる。欧州司法裁判所の判決は市民の自己防衛を認めるものだが、誰かが文句をつける度に、それぞれのケースについて比較検討することなくすぐに情報を削除することは、Googleや他の検索エンジンにとっては、商業的にも問題となる。

静かなる侵害に気をつけろ
忘れられる権利は、インターネットの大いなる力を弱めることにもなるだろう。インターネットとは、実際のところ、想像を絶するサイズの図書館であり、すべての図書館がそうであるように、ニュース、ゴシップ、アーカイブされた情報、そして多かれ少なかれ無関係であったり、間違っていたり、馬鹿げていたりするかもしれないその他の情報で溢れている。インターネットは、かつてないまでに自由に利用でるようになったこういった情報を大いに利用してきたが、同時に扱いかねてもきた。検索エンジンは、図書館の蔵書リストのようなものであるべきだ。それは、包括的かつ中立的でなくてはならず、その内容についても、使われ方についても、憂慮も賛成もしないものでなくてはならない。それが正しいか間違っているか、有益か無益かを判断するのは、行政ではなく、個人であるべきだ。人々は、それを判断をする力を明け渡してしまうことを警戒していなくてはならない。それについて知恵を巡らし、弱者を支援する裁判所に対してさえも。かつてジェームズ·マディスンは言った。「人々の自由は、暴力的に突然奪われるよりも、権力者により推進される静かなる侵害によってゆっくりと奪われるケースの方が多いのだ。」

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