Thesis

Shakespeare時代の舞台照明

Shakespeare時代の舞台照明

米田 拓男

Introduction

 本論では、William Shakespeare(1564-1616)が劇作を行っていた十六世紀末から、十七世紀初頭にかけての、劇場における照明効果について論じる。Shakespeareが劇作を行っていた時期には、彼の作品は大きく分けて三種類の劇場で上演されていた。一つ目はthe Globe theaterに代表されるような屋外劇場。二つ目がHampton CourtやWhitehallなどといった宮廷での上演。そして三つ目は当時出来たばかりのBlackfriarsといった屋内劇場である。各Chapterごとにそれぞれの劇場での照明効果について、具体的にShakespeareの作品と関連付けながら論じて行きたい。

Chapter 1 屋外劇場

 Shakespeare時代の劇場といえば、屋外劇場が一般的であり、Shakespeareが所属していた劇団、the Lord Chamberlain’s menもthe Globe theatreという屋外劇場を所有していた。屋外劇場の舞台空間における主要な光源は、当然ながら、太陽からの自然光であり、上演は、日照時間や天候といった自然条件に左右された。1 そのため、十六世紀末の屋外劇場では昼に上演されるのが一般的だった。­2 屋外劇場でも、松明やロウソクなどの人工照明が用いられることはあったが、それは主に芝居の中で使われる小道具としてであった。

 残されている様々な記録から判断すると、シェイクスピアの時代、十六世紀末から十七世紀初頭にかけての屋外劇場での開演時間は、午後二時から四時くらいであったようだ。3 以下に挙げたのは、十六世紀末のロンドンでの日の入り時刻である。

Sunset Times in London, 1598 (Old-Style Dates)
1st 7th 14th 22nd 28th
January 3:57 4:06 4:14 4:27 4:37
February 4:46 4:51 5:10 5:26 5:38
March 5:40 5:52 6:06 6:20 6:24
April 6:24 6:54 7:06 7:21 7:31
May 7:37 7:45 7:55 8:04 8:09
June 8:11 8:14 8:15 8:13 8:09
July 8:06 8:01 7:53 7:40 7:30
August 7:13 7:13 7:00 6:44 6:33
September 6:26 6:14 5:58 5:44 5:33
October 5:26 5:14 5:00 4:45 4:34
November 4:27 4:17 4:07 3:57 3:51
December 3:48 3:46 3:45 3:48 3:52

(Graves 70)

この表では、縦の列が月を表し、横の列が月の日にちを表している。

当時の芝居の上演時間は大体三時間程度だったようだ。4 すると、表の十六世紀末の開演時間は二時から四時なので、芝居が終わるころは夕方だったはずである。開演時刻を仮に午後二時ちょうどで、上演時間がぴったり三時間だったとする。その場合、上演終了時刻は午後5時ちょうどということになる。そうなると、芝居が終わる時間が日没を過ぎるのは、十月十四日から、二月七日あたりまでの四ヶ月間ということになる。あるいは、もしもその開演時間が三時であったならば、上演終了が午後六時ということになり、一年のうちの半分(九月の半ばから、三月の半ばまで)が、芝居が終わるころには日没を過ぎていたことになる。

 このような日照時間の変化は、作品の上演にも影響を与えていた筈だ。ジョン・ウェブスターの『モルフィー公爵夫人』のタイトルページには“with diverse things . . . that the length of the Play would not beare in the Presentment”「その芝居の最初から最後までの全てが実際に上演された訳ではなかったようだ」という記述が見られる。そこからGravesは、早い日の入り時刻が芝居を削った主要な理由の一つであったのではないかと主張している。(Graves 84)

 このように当時の芝居作りは、自然環境に左右さる側面があった。しかし、それが芝居の中で劇的な効果をあげたかもしれない場面がある。Shakespeareの『ロミオとジュリエット』の五幕三場、パリスがジュリエットの眠る墓地へやってくる場面である。

パリス 松明をよこせ。向こうへ行っていろ。
 いや、松明は消してくれ、人に見られたくない。
(『ロミオとジュリエット』5.3.1-2)

パリスが松明を持った小姓とともに登場し、小姓に松明の火を消させて暗闇の中に身を隠す。そこへ松明をバルサザーに持たせ、ロミオが登場するのだ。『ロミオとジュリエット』は、あたりが夕闇に包まれた当時の屋外劇場で劇的なクライマックスを迎えただろう。この場面では、Shakespeareは日没という自然現象までをも舞台演出として考慮して、劇作をしていたのかもしれない。

Chapter 2 宮廷での上演

 Shakespeareの作品は当時、屋外劇場のみならず、余興として宮廷においても上演された。例えば、一六〇二年二月二日には『十二夜』がHampton Courtで上演された記録が残っている。Shakespeareの所属する劇団が屋内劇場the Blackfriarsを所有するのは一六〇九年である。しかし、それ以前の一五九四から一六〇八年の間に、まだ屋内劇場がほとんどなかった時期に、少なくとも九十三の屋内での上演の記録が残されているという。(Graves 196) それらの宮廷での芝居やマスクの上演は、夜の十時頃から始まり、深夜の一時半や二時にまで及んだらしい。ある司祭などは、一六一八年一月十七日のBen JonsonのPleasure Reconciled to Virtueの上演が深夜にまで及び、くたびれ果てて家路についたことを日記に書き残している。(Graves 158-9)

 そういった宮廷での上演が夜に行われていた以上、自然光を舞台に取り入れることはできない。それでは具体的にどのような照明機具が用いられていたのだろうか。記録によると、宮廷での上演に使われた主要な照明機具は、branchと呼ばれる燭台であったようだ。それはホールの天上からシャンデリアのように吊るされていて、Shakespeareが所属していたthe Lord Chamberlain’s menが上演していた一五八三年のウィンザーのホールには、二十六の小さなbranchと三つの大きなbranchが備えられていたようだ。(Graves 160-1)そしてそれぞれのbranchには、一五七六から八八年頃にかけては、合計百四十一本のロウソクが載っていたという。ロウソクの数はその後増えていき、一六一一年に『テンペスト』と『冬物語』が上演された時には、ひとつのbranchに最低でも百八十本のロウソクが載せられていた。(Graves 163)

 この屋内上演での照明機具の発達も、実際の芝居の上演になにかしらの影響を与えた筈だ。『リア王』はthe Globe theatreで上演されていた時、同時にWhitehall でも上演されていた。Whetehallでは自然光は使われておらず、薄明かりの中で上演された。Whitehall は、天上にたくさんのロウソクが吊られている。嵐の中、荒野でリアが天に向かって嘆く場面では、観客は、the Globe theatreのような屋外劇場で見るものと全く違うものを見ていたはずである。Gravesは人の力の及ばない自然を前にした、リアの無力感よりも、闇さえコントロールする、人間の人工的な制御の力を強調することになるのではないかと主張している。

Chapter 3 the Blackfriars

 Shakespeareの所属しているthe Lord Chamberlain’s Menは、一六〇八年にthe King’s Menとして新たなスタートを切り、the Globe theatreに次ぐ第二の私設劇場the Blackfriarsを購入した。 (Campbell 765) the Brackfriars は屋内劇場で、窓から取り入れる自然光と人工的なロウソクの光とを併用していた。また、the Blackfriearsは冬にだけ使われていた。冬のthe Globe theatreは冷え込むため、代わりにthe Blackfriarsを使用していたようだ。

 そこでの上演時間は、現存する、近隣の住民の枢密院への苦情の手紙から、二時から五時頃までだったと推定できる。5 また同じ時期に女王Henrietta Mariaが楽しみのために夜にも上演していたという記録も残されているようだが、GravesはBlackfriarsでの夜の上演は特別な例であったと主張している。(graves 128)

 the Blackfriarsでの上演は主に昼に行われていたので、自然光を舞台照明に使うことが出来た。一六〇六年にThomas DekkerはThe Seven Deadlie Sinns of Londonの中で、典型的なロンドンの日暮れを屋内劇場の喩えを使って描写している。

“all the Citty lookt like a private Playhouse, when the windowes are clapt downe, as if some Nocturnal, or dismall Tragedy were presently to be acted before all the Tradesmen.” (Graves 132) 

「街の全景はまるで窓が閉められている時の屋内劇場のように見える。あたかもあの夜の劇(nocturnal)や、陰鬱な悲劇が、いままさに商人たちの前で上演されているかのように。」

この文章は、日中でのいくつかの屋内劇場での上演では、窓を閉めて外の光が入らないようにしていたことを示唆している。さらには、窓を開けていれば入って来る光をわざと入らないようにしていたことを示しているので、屋内劇場での照明効果は、単に舞台上にあるものを視覚的に見えやすくするためだけではなく、芝居の審美的な価値を高めるためにも使われていたことが分かる。この文章はまた、コメディーやロマンスなど、他のジャンルの芝居を上演する時には窓を開けていた可能性があることをも強く示唆している筈だ。

 G. E. Bentleyは、一九四八年に発表した“Shakespeare and the Blackfriars Theatre”という論文の中で、Shakespeareは後期のロマンス劇と呼ばれる作品群を、このthe Blackfriarsで上演することを強く意識して書いたのではないかと主張した。(Campbell 790) 彼は、Shakespeareがロマンス劇を書くことで、the Blackfriarsの新しい観客を楽しませる方法を模索していたのだと考えた。6 実際、Shakespeareには『冬物語』というロマンス劇がある。そのタイトルは、冬にだけ使用されていたthe Blackfriarsで上演するのにうってつけのように思える。

 そしてその数年後、Alfred HarbageがBentleyの研究を踏まえて、Shakespeare and the Rival Traditions (New York, 1952)を書き、ロマンス劇とそれ以前の作品の作風の違いは、屋内と屋外、どちらの劇場で上演することを意図して書かれたかに起因するのではないかと指摘した。BentleyもHarbageも共に、劇場の物理的な構造が、ある程度までそこで上演される芝居の形式や意味を規定してしまうと考えた。(graves 5) ジェームズ一世時代の屋内劇場という新しい舞台空間と、そこに集まるより洗練された観客の嗜好が、そこで演じる役者や劇作家に変化することを求めたのだろう。

Conclusion

 Shakespeareの作品は現代においては聖典として扱われている。上演の際にも、英語を母国語とする人々が台詞を削除することはあるが、書き換えることはまずありえない。本レポートでは、Shakespeareの時代の照明を、劇場の種類ごとに見ていきながら、聖典として、不動のものとして扱われているShakespeare作品が、劇場の物理的な環境に大きく影響されて書かれたことについて論じた。

 Chapter 1では、『ロミオとジュリエット』が屋外劇場での日の入りを意識して書かれた可能性について。Chapter 2では、恐らくは屋外劇場で上演することを意図して書かれた『リア王』が、宮廷で上演された時に生じたはずの違和感について。Chapter 3では、the Blackfriarsという新しい舞台空間がShakespeareにロマンス劇の作品群を書かせた可能性についてそれぞれ論じた。

 今回のレポートは、R. B. GravesのLighting the Shakespearean Stage 1567-1642にその多くを負っている。この書物は当時の舞台空間について、照明という一つの側面から徹底的に論じたもので、とても興味深く読んだ。本レポートでも引用しているような、当時の演劇界の上演状況を忍ばせる記述を読むのは大きな楽しみであった。

引用文献

Campbell, Oscar James, ed. The Reader’s Encyclopedia of
     Shakespeare New York: Thomas Y, Crowell Company,
     1966.
Graves, R. B. Lighting the Shakespearean Stage 1567-1642.
     U. S. A.: Southern Illinois University
     Press, 1999.
Shakespeare, William. Romeo and Juliet. Trans. Kazuko
     Matsuoka. Tokyo: Chikumashobo, 1996.

Notes

1 その自然環境は、屋外での上演に適したものではなかったかもしれない。Gravesは、 ‘London is not famous for its sunshine, and what evidence we have indicates that the weather in Shakespeare’s time was rather worse than it is now’ 「ロンドンは自然光に恵まれているとはいえず、現在ある証拠がシェイクスピア時代の天候は、現在よりだいぶ悪かったことを示している」と論じている。(Graves 84)

2 フィリップ・ヘンズローの日記に、the Admiral’s menによる夜の上演の記録が一つだけ残されている。“lent vnto the company when they fyrst played dido at nyght the some of thirtishillynges wch wasse the 8 of Jenewary 159[8].” (Graves 80) (下線筆者)しかし、Gravesは、それは特殊な例であったと考えている。

3  Looking at the whole period, we can say with confidence only that the public playhouses usually began performances anywhere from 2 P.M. to 4 P.M. Chronologically speaking, the times recorded before 1594 refer most often to around 4 P.M., at the turn of the century perhaps more towards 2 P.M., and closer to 3 P.M. some fifteen years later. (Graves 80)

4  Although the “two hours’ traffic” of the stage from the prologue to Romeo and Juliet is often quoted normatively, it is likely that most full entertainments at the public playhouses lasted closer to three hours. (Graves 82)

5  In a letter to the Privy Council, neighbors protested that “multitudes of Coaches” clogged the streets and disrupted business “almost everie daie in the winter tyme . . . from one or twoe of the clock till sixe att night, which beinge the tyme alsoe most vsuall for Christenings and burialls and afternoones service.” Certainly the play did not last from 1 to 6 P.M.; it must have required at least an hour before and after the performance for the coaches to push through the traffic.  (Graves 127-128)(下線筆者) ‘almost everie daie in the winter tyme’という記述からもthe Blackfriarsが冬にだけ使用されていたことが分かる。そしてその後に続いて、「一時か二時頃から午後六時まで、あたかも洗礼式や、葬式、あるいは午後の兵役、労働のように喧しい」ということが書いてある。一時から六時頃までいつもうるさかったという記述から、観客の入場と退場の時間を考えれば、 the Blackfriarsでの上演時間は二時から五時頃だったことが推定できる。

6  Gravesによれば、Blackfriarsは冬にだけ使われていたらしい。 ‘For although some hall playhouses were used only in the winter (the King’s men’s Blackfriars, for instance), Salisbury Court has left behind records of a number of summertime plays’ (Graves 130) Shakespeareはthe Blackfriarsを念頭に置いて『冬物語』を書いたのかもしれない。

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