Thesis

Bottom’s Dream 2 —夢と想像力—

Bottom’s Dream
—夢と想像力—

米田 拓男

Introduction

 William Shakespeare (1564-1616)のA Midsummer-Night’s Dream (1595-96)の中で、私は特にボトムに注目したい。ボトムはこの喜劇作品の中でも最も喜劇的な人物であり、職人から、ロバ、ピラマスと3回も変身する変化の多い派手なキャラクターだ。またボトムは作中、妖精を見ることが出来る唯一の人間でもある。本論ではボトムを中心に夢と想像力の関係について論じる。

Chapter 1

 A Midsummer-Night’s Dreamに登場するボトムは、1661年の段階で『機屋ボトムの愉快な奇行』(The Merry Connceited Humours of Bottom the Weaver)と題するボトムを中心にした改作が出たほど、(玉泉 129) 当時から観客を惹き付けてきた魅力ある登場人物である。彼はアテネの職人仲間の人気者で、[i] 公爵の結婚祝いの席で披露するための芝居の主演に抜擢される。彼は気取り屋であり、それは、自分達のことを当時はまだあまり使われていなかった ‘actors’と呼んでみたりするところからも伺える。[ii](1.2.9, 14, 4.2.37) 彼は自己顕示欲が旺盛で、役振りの時から、どの役もやりたがり、口を出す。[iii] しかし、彼が憎めないのは、いくら気取ってみたところで、次から次へとボロを出してしまうところにある。

 Shakespeare作品のコミック・キャラクターがしばしば言葉を言い誤るように、彼は非常に頻繁に言い間違いをするのだ。‘moderate’と言うべきところを ‘aggravate’と言ったり、(1.2.75)‘severally’や‘individually’が相応しいところで‘generally’というくらいならまだ良い。(1.2.2) 中には ‘I will roar you as gently as any sucking dove’と、‘sucking lamb’と‘sitting dove’を混用したと思われる、赤面ものの言い間違いもある。(1.2.76)僕が数えたところ、彼は全部で35回の言い間違いをしている。[iv]

 その中でも知覚動詞の誤用が多く、都合8回言い間違えている。

      ○       ×
seen         →heard (4.1.208)
heard        →seen (4.1.209)
conceive     →taste (4.1.209)
taste         →conceive (4.1.209-210)
hear         →see (5.1.191)
see          →hear (5.1.192)
hear         →see (5.1.347)
see          →hear (5.1.348)

具体的に台詞を引用してみたい。

The eye of man hath not heard, the ear of man hath not seen, man’s hand is not able to taste, his tongue to conceive, not heart to report what my dream was. (4.1.208-210)

人間の目が聞いたこともない、人間の耳が見たこともない、人間の手が味わったこともない、舌が考えたこともない、心臓が言い伝えたこともない、あれは前代未聞のとんでもない夢だった。

この台詞は聖書の『コリント前書』からの一節であり、[v]ボトムはその知覚動詞をあべこべにして使用している。その他にもA Midsummer-Night’s Dreamの中には知覚に関する言及が多い。

  Hermia.  I would my father look’d but with my eyes.
  Theseus.  Rather your eyes must with his judgment look. (1.1.56-57)

ハーミア 父が私の目で見てくれればいいのですが。
シーシアス それよりもお前の目に父の分別を持たせなさい。

この台詞では視覚について言及している。次のヘレナの台詞は視覚と聴覚について述べている。

My ear should catch your voice, my eye your eye,
My tongue should catch your tongue’s sweet melody. (1.1.188-189)

私の耳にあなたの声を、私の目にあなたの目を
私の舌にはあなたの甘い調べをうつしてちょうだい。

そしてヘレナは森に入り、彼女の知覚に生じた変化に気付く。

  Hermia.  Dark night, that from the eye his function takes,
The ear more quick of apprehension makes;
Where it doth impair the seeing sense,
It pays the hearing double recompense.
Thou art not by mine eye, Lysander, found;
Mine ear, I thank it, brought me to thy sound. (MND 3.2.177-182)

ハーミア 暗い夜、人の目からその働きを奪ってしまう。
 そのぶん耳はいっそう鋭敏になる。
 見る力を駄目にしたかわりに
 聴く力を二倍にしてくれる。
 ライサンダー、あなたを見つけたのは目じゃない、
 感謝しなくては、耳があなたの声のところへ導いてくれたの。

恋人たちは夜の森に入り、まず確かな視覚を奪われた。彼らの知覚の変調はそれだけにとどまらない。オーベロンとパックのいたずらによって、彼ら恋人たちと、ティターニア、職人たちの知覚はさらなる変調を来していく、[vi]ボトムの言い間違いのように。そして、知覚が奪われ、混乱していくうちに彼らのうちで、想像力が視覚や聴覚といった知覚よりも確かな拠り所となっていくのだ。[vii]

Chapter 2

 次の台詞は、魔法にかけられたティターニアがボトムに出会う場面のものだ。

  Titania.  I pray thee, gentle mortal, sing again.
Mine ear is much enamoured of thy note;
So is mine eye enthralled to thy shape;
And thy fair virtue’s force perforce doth move me,
On the first view, to say, to swear, I love thee. (3.1.29-33)

ティターニア お願い、優しい方、もう一度歌って。
 この耳はあなたの歌声にうっとり聞き惚れ
 この目はあなたの姿かたちに見とれている。
 あなたの美しさにこもる力は私の心を揺さぶり
 一目見ただけで誓わずにいられない、愛しています。

ティターニアの目には、ロバ頭のボトムの姿が美しく映っている。愛を打ち明けるティターニアにボトムは冷静に言い返す。

  Bottom.  Methinks, mistress, you should have little reason for that. And yet, to say the truth, reason and love keep little company together now-a days. The more the pity that some honest neighbours will not make them friends. Nay, I can gleek upon occasion. (3.1.134-138)

ボトム 奥さん、そうまでおっしゃるとは、相当理性に欠けておいでだね。もっとも、正直な話、このところ理性と恋とはまるっきりそっぽを向き合ってる。ご近所の正直者があいだに入り仲直りさせないのは残念至極。てなわけで、たまには俺だって気のきいた冗談のひとつも言えるんだ。

この台詞の中で、ボトムは ‘reason and love keep little company together now-a days.’と言っているが、A Midsummer Night’s Dreamの中には、この台詞と共鳴する台詞がいくつかある。次の台詞は森に向かう前に、ヘレナがハーミアを羨んで語る独白の一部である。

Things base and vile, holding no quantity,
Love can transpose to form and dignity.
Love looks not with the eyes, but with the mind;
And therefore is wing’d Cupid painted blind. (1.1.232-235)

恋は程を知らないから、卑しく醜いものも
並はずれた立派なものに変えてしまう。
目で見るのではなく心が見たいように見る。
だから、絵に描かれたキューピッドはいつも目隠しをしてるんだわ。

ヘレナは、人は恋に落ちると想像力が視覚を補って、相手を実際以上に美しく見せてしまうと言う。以下のシーシアスの台詞も同様のことを述べている。

Lovers and madman have such seething brains,
Such shaping fantasies, that apprehend
More than cool reason ever comprehends.
The lunatic, the lover, and the poet,
Are of imagination all compact. (5.1.4-8)

恋する者、気の狂った者は頭のなかが煮えたぎり
ありもしないものを空想する。だから
冷静な理性では理解できないことを思いつく。
狂人、恋人、そして詩人は
想像力で出来ている。

この台詞では、上記の台詞をさらに発展させて、恋人に、狂人と詩人を並列して並べている。[viii]そして彼らは皆、想像力‘imagination’の産物であると述べている。

 それでは、森をさまよう恋人たちの‘imagination’ は、どのような性質のものなのだろうか。アテネ郊外の森でティターニアがボトムに出会った時、つまり妖精が人間に遭遇した時、人間が妖精に驚くのではなく妖精が人間に驚いている。ティターニアにとっては、ロバ頭のボトムは類まれなほど優雅で美しい。ボトムにとっては、妖精の女王はたまたま出会った女性にすぎない。この時、ボトムもタイターニアも相手に対する評価を誤っている。二人のコミュニケーションは、誤解に基づいて成立している。二人とも非常に個人的な想像力の範疇で相手を評価していて、客観性を失っている。[ix]ボトムに限っては自分がロバに変身したことすら、ついぞ知らないままなのだ。[x]ティターニアも、自分が魔法にかかっていることなど知る由もない。アレグザンダー・レガットは次のように述べる。

劇全編を通して四つの異なったグループが認められる。恋人たち、道化たち、年齢が少し上のアテネの人たち、そして妖精たちである。どのグループも自分たちにしかかかわらない問題に熱中していて、他グループの問題にはほとんど気付いていない。 (レガット 122)

つまり、彼らは知覚を失い、自らの想像力の中をたゆたうようになる。森にいる彼らの想像力は主観的なもので、[xi]非常に個人的な範囲に限定されたものになるのだ、まさに夢のように。

Chapter 3

 次の台詞は、魔法が解けてボトムが目覚める時にかたられる台詞である。

I will get Peter Quince to write a ballad of this dream. It shall be call’d ‘Bottom’s dream’, because it hath no bottom; (4.1.210-212)

ひとつピーター・クウィンスに頼んで、俺の夢を歌にしてもらおう。題は「ボトムの夢」がいい。ボーッとむなしい夢だからな。

ボトムは目覚めると、妖精の女王と出会った体験を、夢であると決めつけて、それを「ボトムの夢」と命名する。[xii]しかし、ライサンダーが ‘by the way let us recount our dreams’「歩きながら、ゆうべの夢の話をしよう」と言うのとは対照的に、(4.1.197) ボトムは夢の話はできないと言う。

       I have had a most rare vision. I have had a dream past the wit of man to say what dream it was. Man is but an ass if he go about to expound this dream. (4.1.202-204)

なんともけったいな夢を見たもんだ。確かに夢だ、だがどんな夢かは人間の知恵じゃ言えないな。この夢を説明しようとするやつは、とんまなロバだ。

その後、職人仲間のところへ戻った時にも、ボトムは夢の話をしようとして言い淀む。(4.2) ボトムは何故、夢の話をしないのだろうか。

 ノースロップ・フライは次のように述べる。

夢では、人は誰も自分自身のロゴスであるといったヘラクリトスから、どの夢にも理解不可能の部分があって、それが未知との橋わたしになるというフロイトに至るまで、夢は、夢見る者の個人的世界の核をなしており、それゆえに他人への伝達は不可能であると考えられている。しかし夢を見る力は、伝達力としての想像力と密接な関係をもっている。そしてこれがボトムを悩ますパラドックスなのである。 (『シェイクスピア喜劇の世界』 149-150)

このパラドックスとはどういうことなのだろうか。まず、夢を見るのには想像力が必要である。ここでいう「夢を見る力」とは、想像力を指す。そして、人にものを伝えるのにも想像力が必要である。従って、夢を見る人間には、人にものを伝える想像力を持っている。しかし、夢は個人的なものなので、本質的に他人に伝えることができない。つまり、夢を見た人間は誰しも、その夢を人に伝えたいけど、伝えられないというパラドックスに悩まされることになる。ボトムはそのことを本能的に瞬時に察知したのだろう。ライサンダーは、周りの人たちに自分が経験した夢のような体験を語って聞かせるだろう。しかし、結局それを理解させることは永遠にできないのだ。[xiii]

 詩人はそれをつたえようと悪戦苦闘するのだろう。ボトムは詩人ではないが、役者であった。レガットは役者ボトムを次のように評する。

役者ボトムは劇中最大の馬鹿者であるが、ある意味ではもっとも広い想像力を持った人物である。妖精を目にするだけでなく、彼らに気安く挨拶までするのだ。どんな役でも演じられる(し、いくらかでもチャンスがあれば実際に演じてしまう)彼の役者としての多芸多才ぶりは、シェイクスピア自身の想像力の喜劇的写しではないか。「雛鳩みたいに優しい声で唸ってみせるぞ」(1幕2場73行)と約束するボトムには、現実を調整し直す芸術家の特権が感じられる。 (レガット 150)

しかし、レガットのこのような好評価に反して、5幕1場での「ピラマスとシスビーの悲恋物語」上演の席では、からかいの対象になり、シーシアスに次のように言われてしまう。

  Theseus.  The best in this kind are but shadows; and the worst are no worse, if imagination amend them.
  Hippolyta. It must be your imagination then, and not theirs. (5.1.210-213)

シーシアス 芝居というものは最高の出来でも所詮は影、そのかわり最低のものでも影以下ということはない。想像力で補えばいいのだ。
ヒポリタ でもそれはあなたの想像力でしょう、あの人たちには欠けている。

このシーシアスの発言は正しい。そもそもボトムは、観客の想像力を信頼していた。ボトムたちは芝居の稽古の最中、あれほど夫人方のライオンへの反応を気にしていたではないか。(1.2, 3.1.) 観客の想像力を過剰に信頼した結果、あのような芝居になったのだ。シーシアスは、想像力が時として大きな力を持つことになることを理解しているようだ。

Such tricks hath strong imagination
That, if it would but apprehend some joy,
It comprehends some bringer of that joy;
Or in the night, imagining some fear,
How easy is a bush suppos’d a bear? (5.1.18-22)

強い想像力にはそんな魔力がそなわっている。
だから何か歓びを感じたいと思うだけで
その歓びをもたらすものを頭のなかでこしらえ上げる。
また逆に、闇夜に恐怖を感じれば
ただの繁みも簡単に熊と思えてくるのだ。

しかし、シーシアスの想像力は、[xiv]若者たちの話を理解するところまではいかなかった。

 A Midsummer-Night’s Dreamは最後、パックが1人舞台に登場し、納め口上を述べるが、その中に次のような一節がある。

  Puck.  If we shadows have offended,
Think but this, and all is mended,
That you have but slumb’red here
While these visions did appear.
And this weak and idle theme,
No more yielding but a dream, (5.1.417-422)

パック 影にすぎない私ども、もしご機嫌を損ねたなら
 お口直しに、こう思っていただきましょう。
 ここでご覧になったのは
 うたた寝の一場のまぼろし。
 たわいない物語は
 根も葉もない束の間の夢。

この口上でパックは、A Midsummer-Night’s Dreamという芝居それ自体を夢のようなものだと言う。それは、Shakespeareの想像力の産物、つまり、夢ということだ。森の中で夢のような体験をしたボトムは、劇中の舞台上で、芝居というひとつの夢を演じる。その芝居を見ている公爵たち、を見ている妖精たち、を見ている我々、を見ている神々… 夢の入れ子構造がバームクーヘン状に広がっていく。その中心に、ボトムの夢が、ぽっかりと口を開けている。

Conclusion

 Chapter 1では、ボトムの言い間違いに注目し、言い間違いの中には特に知覚動詞の誤用が目立つことと、作品中にも知覚に関する記述が多いことについて言及した。そして登場人物たちが森に入り、知覚が奪われ、混乱していくうちに、彼らのうちで、想像力が知覚よりも確かな拠り所となっていくということについて論じた。

 Chapter 2では、恋人たちは想像力の産物であるという考えに触れ、彼らの想像力は主観的で限定された、夢のようなものだということを述べた。

 Chapter 3では、夢について語ろうとするが、語れない、ボトムのパラドックスと、夢と想像力の関係について論じた。

後注

 ボトムの言い間違いについて。全部で35回の言い間違いをしている。

 副詞    2回
 ○       ×
severally, individually → generally (1.2.2)  矛盾する、反対の意味
seemly, fitly → obscenely (1.2.98)  卑猥な間違い

 名前の訛り 7回
Hercules → Ercles (1.2.24)
Phoebus → Phibbus (1.2.30)
Hercules → Ercles (1.2.35)
Thisby → Thisne (1.2.46)
Leander → Limander (5.1.195)
Cephalus → Shafalus (5.1.197)  引用自体も不適当
Procris → Procrus (5.1.197)  引用自体も不適当

 接続詞   1回
make or mar → make and mar (1.2.33)  慣用的言い回しの言い間違い

 形容詞   5回
a monstrous little (1.2.46)  oxymoron的な変な言い回し、矛盾する、反対の意味
moderate → aggravate (1.2.75)  反対の意味
sucking dove (1.2.76)  sucking lambとsitting doveの混用、卑猥な間違い
odours → odious (3.1.75)  香りの形容詞形を言い間違えた、卑猥な間違い
lamentable tragedy → sweet comedy (4.2.39)  反対の意味

 名詞    8回
tragedy → comedy (3.1.8)   反対の意味
wild-beast → wild-fowl (3.1.29)  イメージ的に反対
effect → defect (3.1.35)   反対の意味
nor his heart to report (4.1.210)  主語と動詞がちぐはぐ、身体の部位
lamentable tragedy → sweet comedy (4.2.39)  反対の意味
Hero → Helen (5.1.196)  思い違い
Ninus → Ninny (5.1.201)
Eye → Tongue? (5.1.299)  身体の部位

 数詞    1回
eight and eight (3.1.24)  思い違い

 文法    2回
yourselves → yourself (3.1.27)   シェイクスピアのミスの可能性も
odorous → odours (3.1.77)  名詞形と形容詞形の間違い

 冠詞    1回
the play → a play (4.1.213)  石井正之助氏の注では「タイテイニアとの情事が念頭にある」とあるが、本当か?

 動詞    8回
(知覚動詞の誤用)
seen → heard (4.1.208)
heard → seen (4.1.209)
conceive → taste (4.1.209)
taste → conceive (4.1.209-210)
hear → see (5.1.191)
see → hear (5.1.192)
hear → see (5.1.347)
see → hear (5.1.348)

 他にも誤解、勘違い多数あり

参考文献

ハンス・ビーダーマン 『図説 世界シンボル辞典』 訳者 藤代 幸一・
 宮本 絢子・伊藤 直子・宮内 伸子 東京: 八坂書房 2000.
ヤン・コット 『シェイクスピア・カーニヴァル』 訳者 高山 宏 東京: 平凡社
 1989.
テリー・イーグルトン 『シェイクスピア—-言語・欲望・貨幣—-』 訳者
 大橋 洋一 東京: 平凡社 1992.
ノースロップ・フライ 『シェイクスピア喜劇の世界』 訳者 石原 考哉・市川 仁
 東京: 三修社 2001.
ノースロップ・フライ 『シェイクスピアを読む—-ノースロップ・フライのシ
 ェイクスピア講議』 訳者 石原 考哉・市川 仁・林 明人 東京: 三修社 2001.
アレグザンダー・レガット 『シェイクスピア、愛の喜劇』 訳者 川口 清泰
 東京: 透土社 1995.
Schmidt, Alexander. Shakespeare lexicon and Quotation Dictionary. Rev.
 Gregor Sarranzin. New York: Dover Publications, 1971.
Shakespeare, William. A Midsummer-Night’s Dream. 編注者 石井 正之助
東京: 大修館書店 1987.
ウィリアム・シェイクスピア 『夏の夜の夢 間違いの喜劇』 訳者 松岡 和子 
 東京: 筑摩書房 1997.
柴田 稔彦 『シェイクスピアを読み直す』 東京: 研究者 2001.
玉泉 八州男 ほか 『シェイクスピア全作品論』 東京: 研究者出版 1992.

Notes

[i]  4幕2場で、‘he hath simply the best wit of any handicraft’などと、職人仲間から大変に高く評価されている。

[ii]  「このころまでは劇を演じる人間のことをまだ「役者」(player)というアングロサクソン系のことばで表すのが普通であったのに、ボトムなどは自分のことをもったいぶって、ラテン系の語である「俳優」(actor)と称している」 (柴田 123)

[iii] 彼は ‘ethical dative’の ‘you’ や ‘your’を良く使うが、そんなところからも彼の自己顕示欲の強さを読み取れる。

[iv] 後注のボトムの言い間違いの一覧表参照。

[v]  「「神、彼を愛する者たちのために備えたまいしことどもを、人の目は見ず、人の耳は聞かず、人の心は入れざるなり。されど神、その聖霊によりてこれらのことどもを我れらに啓示したまえり。聖霊はあらゆるものを、然り、神の深きにあることどもをよくたずね得るものなれば」と、その聖句にはある。」 (コット 48)

[vi] パックは、ティターニアとライサンダー、ディミートリアスの目に惚れ薬を塗り、ボトムをロバに変身させ、ライサンダーとディミートリアスを、二人の声色をまねて誘導する。それらのいたずらが、彼らの知覚を混乱に陥れる。

[vii]  SchmidtのShakespeare lexiconの ‘imagination’の項に次のような記述があった。 ‘the faculty of the mind by which it conceives and forms ideas of things not present to the eye’

[viii] 狂人は原文では ‘the lunatic’となっている。 ‘luna’は古来、狂気を意味する語だが、作品中の月の記述には狂いがあり、矛盾しているという。

「本文に言及されている部分から判断すると、森の場面の晩は月の出ない夜でなくてはならない。ところが実際は、雲に隠れてよく見えないのかもしれないが、月が依然としてそこにあることを示すような言及がたくさんある。」 (『シェイクスピアを読む』 82)

[ix]  「二人とも本性から逸脱して変容を来したのに、自分たちは正常であると思い込んでいるのだ。(中略)ひとりびとりが自分の認識の中に留まり、自己満足に浸り、内にこもっていて、根は無邪気と言える。」 (レガット 121)

[x]  「ボトムの頭がロバの頭になるとき、他人が彼をどうみるかと、彼自身が彼自身をどうみるかとのあいだに、自分の顔をみることのできないがゆえの亀裂が生ずるだろう。」 (イーグルトン 64)

[xi] シンボル辞典の「森」の項に次のような記述があった。「夢にあらわれる「暗い森」は、アイデンティティーの確立以前の段階、あるいは意識が正常に働いている状態ではおずおずとしか足を踏み入れることのできない「無意識」の領域をあらわす。」 (ビーダーマン 439)

[xii] コンコーダンスによれば、A Midsummer-Night’s Dreamでは‘dream’という単語は、‘dream’と ‘dreams’合わせて計16回使用されている。そのうち、一番多く使っているのがボトムで6回である。

[xiii]  Hippolyta.   ’Tis strange, my Theseus, that these lovers speak of.
  Theseus.  More strange than true. I never may believe
These antique fables, nor these fairy toys. (5.1.1-3)

ヒポリタ シーシアス、不思議ね、あの恋人たちの話は。
シーシアス 不思議だ、とても本当とは思えない。ああいう荒唐無稽な昔話や
たわいないおとぎ話のたぐいはどうも信じる気になれない。

[xiv]  「シーシュースがここで使っている‘imagination’という言葉は、ごくありふれたエリザベス朝の用法で、今日では、実在しないという意味の‘imaginary’という言葉で表される。シーシュース自身はともかく、この言葉は今日われわれのいう ‘imaginative’よりは積極的な意味、つまり後にブレイクやコウルリッジによって発展させられた創造力という意味をもっているのである。私が『オックスフォード大英語辞典』で調べた限りでは、英語におけるこの言葉の積極的な意味はここから始まっている。」 (『シェイクスピアを読む』 89)

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