Thesis

Shakespeare作品に見られる’ethical dative’について

Shakespeare作品に見られる’ethical dative’について

米田 拓男

Introduction

 シェイクスピア作品の注釈にしばしば心性的与格‘ethical dative’という言葉を見かける。以前、ボトムの台詞に焦点を当ててA Midsummer-Night’s Dreamを読んでいた時にこの用法に出会った。以下がその台詞である。

but I will aggravate my voice so, that I will roar you as gently as any sucking dove; I will roar you an’ twere any nightingale. (A Midsummer-Night’s Dream 1.2.75-77)

だから俺は声を欲情させて、鳩がクークー鳴くみたいに優しく吠えてやる。ナイチンゲールみたいに吠えてやる。

この箇所の注に「このyouは聞き手の関心を引くために添えられた虚辞<心性的与格>」とある。 (石井 240) 僕はこの用法はボトムの自己顕示欲の強い性格を表していて大変に面白いと思った。今回のレポートではこのようなShakespeare作品に見られる ‘ethical dative’の用法について論じる。そして、それに関連して ‘ethical genitive’と、利害の与格 ‘dative of interest’についても言及する。

Chapter 1

 OEDで ‘ethical dative’を引いてみたところ “the dative when used to imply that a person, other than the subject or object, has an indirect interest in the fact stated.”とあった。OEDによれば、’ethical dative’は話者の興味を反映するもののようだ。なるほどシェーラーの『シェイクスピアの英語』では、 ‘ethical dative’に「関心の与格」という訳語が与えられている。[i]しかし、それだけでは先に引用したボトムの台詞の説明としては不十分だ。ボトムの台詞は自分の関心というよりは聴者の注意を引こうとするものである。そのことを考慮すると、現代英語学辞典の記述の方が ‘ethical dative’の実際により近いように思われる。

叙述に生気を与えるために、話者が自己または聴者の関心を表すme、youを虚辞(EXPLETIVE)的に動詞に添えることをいい、古文、または、古文を模倣した文体に見いだされる。

そして、どうやら‘ethical dative’は叙述に生気を与えるものでもあるらしい。[ii]
具体例を挙げてみよう。

  Casca.  Marry, before he fell down, when he perceiv’d the common herd was glad he refus’d the crown, he pluckt me ope his doublet, and offer’d them his throat to cut. (Julius Caesar 1.2.263)

キャスカ それが、ぶっ倒れる前、王冠を拒絶したのが平民どもにうけたのを見て、どうしたと思う、こう胸をはだけてこの喉をかき切ってくれと言ったもんだ。

この箇所の注を見ると、「いわゆるethical dativeで、描写に生気を与えるためのもの。とくに意味はない」(大場 75)とあり、ここでも ‘ethical dative’は記述に生気を与えるものであることが述べられている。しかし、同時に大場氏はここで使われている ‘ethical dative’には特に意味はないとしている。本当に意味は無いのだろうか? 

 先に挙げてきたいくつかの‘ethical dative’の定義によれば ‘ethical dative’が用いられている箇所では、話者、あるいは聴者の関心が問題になっているはずである。Julius Caesarのこの場面では、シーザーが王冠を頂くことを快く思っていないキャスカが、大衆を前にしたシーザーの大袈裟な身振りを揶揄している。ここの ‘me’にはその大袈裟な身振りを軽蔑するような意味合いがあるのではないか。もう一つ例を見たい。次に挙げるのは、イアーゴーがその黒い胸の内をロダリーゴーに打ち明けるOthelloの一場面である。

Whip me such honest knaves. (Othello 1.1.49)
そんな馬鹿正直なやつはむちで打ってやれ

ここの注にも「me はいわゆるethical dativeで単に意味を強めるだけ」とある。(笹山 45)だが、ここでもやはり先と同じように正直者に対する侮蔑の感情が含まれているように思う。しかし、Introductionで触れたボトムの例はこれには当たらない。先のボトムの台詞には軽侮の感情の込められているはずもない。そのボトムの台詞に似た例を挙げる。Hamletの墓掘りの場の台詞である。

’a will last you some eight year or nine year. A tanner will last you nine year. (Hamlet 5.1.160-161)

ま、ふつうは八、九年ってとこかな。皮屋ならたっぷり九年はもちますがね。

墓掘りはハムレットに向かって、死体がどのくらいもつのか説いてみせる。ここでも注釈には「意味のないyou」とあるが、(高橋 347) 墓掘りは死体に関しては第一人者である。どことなく自慢げな響きがこもってはいないだろうか。このように ‘ethical dative’にはなんらかの話者の感情が込められているように思う。もう一つ例を挙げる。次の台詞はシャロー判事がフォルスタッフに学生時代の射撃競技会の思い出を語る場面である。

there was a little quiver fellow, and a’ would manage you his Piece thus; and a’ would about and about, and come you in and come you in: (The Second part of King Henry ・ 3.2.300-303)

その時に実に敏捷な小男がおりましてな、銃をこのようにかまえて、ここと思えばまたあちら、次々的を狙い撃ち、

この ‘you’は小男の敏捷さを強調しているが、同時にその敏捷さに対する感嘆の気持ちが混じってはいないだろうか。いずれにせよ、この‘you’が聞き手を注目させるためのマーカーとして機能していることは確かだ。ここの注には、「‘look you’くらいの気持ちを表わす」とある。(市河 213)  確かに、会話の中で突如として‘you’と呼びかけられれば、聴者は注意を向けないわけにはいかないだろう。

 しかし、一方で、 ‘ethical dative’には ‘me’の用法もある。この二つの用法の違いはどこにあるのだろう。いくつか例を挙げる。以下の台詞はTwelfth Nightでサー・トービーがサー・アンドルーにヴァイオラに対して決闘をけしかける場面のものである。

  Sir Toby.  Go, Sir Andrew; scout me for him at the corner of the orchard, like a bum-baily; (Twelfth-Night 3.4.171-172)

ようし、行け、サー・アンドルー。庭の片隅で借金とりのように見張るんだ。

ここでは ‘me’は命令型の動詞の後に置かれているが、 ‘ethical dative’の ‘me’の用法には命令系で使われているものが多い。次の例もサー・トービーがサー・アンドルーに決闘をけしかける場面からのものだ。ここでも命令型が用いられている。

  Sir Toby.  Why, then, build me thy fortunes upon the basis of valour. Challenge me the Count’s youth to fight with him; hurt him in eleven places. (Twelfth-Night 3.2.30-32)

ようし、じゃあ勇気をもとでにひと旗あげろ。公爵の若造に決闘申しこんで、やつの体の十一箇所に傷を負わせるんだ。

これら二つの例はSchmidtのSHAKESPEARE LEXICONの ‘ethical dative’の用例から抜粋したものであるが、他の用例も命令型のものが多い。そのことは本レポートの他の箇所で取り上げた用例にもあてはまる。この箇所の注には「この“me”はいわゆるethical dativeで、相手に対する関心の強さを示す強意表現」と書かれている。(安西 173) このことから考えてみると、 ‘ethical dative’の ‘you’は相手の注意を自分に向ける働きを持つのに対して、 ‘me’は相手に行動を促す、あるいは相手の行動を強調する役割があるように思われる。

Chapter 2

 前章まで心性的与格‘ethical dative’について論じてきたが、‘ethical dative’に準じたものに心性的属格 ‘ethical genitive’がある。Introductionで触れたボトムの台詞にもこの ‘ethical genitive’が使用されている箇所がある。

  Bottom.  I will discharge it in either your straw-cioour  beard, your orange-tawny beard, your purple-in-grain beard, or your French-crown-colour beard, your perfect yellow. (A Midsummer-Night’s Dream 1.2.85-87)

麦藁色のでやるかな、みかん色がいいか、真っ赤がいいか、フランス金貨の真っ黄色がいいか。

この台詞にも、ボトムの自己顕示欲旺盛な性格があらわれていて面白い。注には「みなさんご存知の」とあるが、(石井 81) これはSchmidtのSHAKESPEARE LEXICONの ‘your’の項目の ‘ethical dative’の用例の冒頭にある ‘Used indefinitely, not with reference to the person addressed, but to what is known and common’という記述と一致する。目立ちたがり屋のボトムはやたらとこの ‘your’を使う。

for there is not a more fearful wild-fowl than your lion living; (A Midsummer-Night’s Dream 3.1.29-30)
生きたライオンくらいおっかない猛きん類はないからな。

I could munch your good dry oats. (A Midsummer-Night’s Dream 4.1.29-30)
極上のカラスムギをむしゃむしゃ食いたいもんだ。干し草ひと束なんてのも悪くない。

As You Like Itのタッチストーンの台詞にも ‘ethical genitive’が多く使われているようだ。

for all your writers do consent that ipse is he; (As You Like It 5.1.42)
あらゆる学者の一致した意見によれば、彼とはその男ということだ

as your pearl in your foul oyster. (As You Like It 5.4.59)
真珠が醜い牡蠣のなかにあるようにね。

Your If is the only peace-maker; (As You Like It 5.4.97)
「もしも」には偉大な力があるんだ。

これらも‘ethical dative’の‘you’同様、相手の関心を自分の話に向けるための注意のマーカーと考えていいだろう。

 そして、これら ‘ethical genitive’の ‘your’にも‘ethical dative’同様に話者の感情が込められている場合がある。『新英語学辞典』よれば、‘ethical genitive’には「嘲弄・軽侮の気持ちが含まれることが多い」らしい。次に軽蔑的な意味合いで‘ethical genitive’が使用されている例を挙げる。次の例は父親の亡霊に出会った直後、ハムレットがホレーシオに言う台詞である。

There are more things in heaven and earth, Horatio,
Than are dreamt of in your philosophy. (Hamlet 1.5.166-167)
この天と地のあいだにはな、ホレーシオ、哲学などの思いもよらぬことがあるのだ。

この箇所の注には「“your”は懐疑論者ホレイシオを指すのではなく、「いわゆる」の意(Q2)。Fにはわかりやすく“our”とある」とあり、(高橋151) 文字どおりホレーシオを、あるいはホレーシオの学識を問うものではない。ハムレットは学問全般を問題としているのである。そしてその学問の限界に対して苛立っているのだ。ハムレットの苛立ちは自分に対しても向けられる。次の引用も同じくHamletからのものだ。両親に見せるための芝居の上演直前、ハムレットがオフィーリアを相手に語る台詞である。

  Hamlet.  O God, your only jig-maker! (Hamlet 3.2.122)
ハムレット しようがあるまい、おれは天下随一の道化役者だからな。

この ‘your’ からは、自分の運命が自分の思うようにいかないことへのもどかしさと、自分の本心を隠して狂気を演じ続けなくてはならないハムレットの、自嘲的な思いを読み取ることができる。もうひとつだけ例を挙げたい。ハムレットはポローニアスを殺した後で、クローディアスにポローニアスの居所を難詰される。そこでハムレットは、ポローニアスは晩餐の最中だと答える。しかし、その晩餐はポローニアスに群がる蛆虫たちの晩餐を指しているのだ。

Your worm is your only emperor for diet: we fat all creatures else to fat us, and we fat ourselves for maggots; your fat king and your lean beggar is but variable service—two dishes, but to one table. (Hamlet 4.3.21-25)

なにしろ蛆虫というやつ、食わせものですからね、食事にかけては王様だ。人間は自分を太らせるためにほかの動物たちを太らせて食う、そして太らせた自分を蛆虫に食わせる。太った王様もやせた乞食も、違った献立の二つの料理だが、食い手は一つだ。

ここで用いられている ‘ethical genitive’の ‘your’からは、ハムレットのクローディアスやポローニアスらに対する侮蔑の感情をありありと感じ取ることができる。

 これらの例から、 ‘ethical genitive’の ‘your’は ‘ethical dative’の ‘you’と同様に、話者の関心を引くための注意のマーカーとしての役割を持ち、時に話者の感情を強く主張することもあることが分かる。

Chapter 3

 前章までは、 ‘ethical dative’及び ‘ethical genitive’が会話中のある内容を強調する注意のマーカーであり、時に話者の感情を強く主張することについて論じてきたが、 ‘ethical dative’ はそれら以外により具体的な意味を持つ場合もあるようだ。次に挙げた例はHamletからの一節であり、ポローニアスが息子のレアティーズの安否を臣下のレナルドーに探りに行かせる場面のものである。

Enquire me first what Danskers are at Paris; (Hamlet 2.1.7)
先ずパリにはどんなデンマーク人がいるか調べてくれ

ここでも‘me’は命令型の動詞の後に置かれており、相手の行動に焦点を合わせる働きをしている。その言い方は、なにかにつけて大仰な言い方を好むポローニアスの性格にふさわしい。しかし、ここの注には「Sh.に頻出する「心性的与格」(ethical dative)の一例。意味は“for me”で、話者への関心をひくために虚辞的に動詞に添えるもの」とある。(高橋155) ここでの ‘me’は相手の行動を強調する以外にも ‘for me’という具体的な意味を持っているようだ。『新英語学辞典』の ‘ethical dative’の項に次のような記述がある。

 心性的与格は利害の与格(DATIVE OF INTEREST)と似ていて区別が明確ではない場合もある。

上記のHamletからの一節はこの例に当てはまるものだろう。次に挙げるThe Taming of the Shrewの一場面でシェイクスピアは ‘ethical dative’のこのような性質を逆手にとって、一つのコミカルな場面を作り上げている。ペトルーキオが召使いに「ドアを叩け」と言う際にこの ‘me’を挿入し、「俺を叩け」と誤解されて騒動がもちあがる。[iii]

  Grumio.  Knock, sir? Whom should I knock? Is there any man has rebused your worship?
  Petruchio.  Villain, I say, knock me here soundly.
  Grumio.  Knock you here, sir? Why, sir, what am I, sir, that I should knock you here, sir?
  Petruchio.  Villain, I say, knock me at this gate,
And rap me well, or I’ll knock your knave’s pate.
(The Taming of the Shrew 1.2.6-12)

グルーミオ たたく! どいつをたたくんで、旦那様? だれか旦那様にヒツ礼なまねでもしたんですか?
ペトルーチオ ばか野郎、ここへきて力いっぱいたたけと言ってるんだ。
グルーミオ そこへ行ってですか、旦那様? たたくんですか、旦那様? 旦那様を? いやいや、あたしにはできませんや、旦那様、旦那様をたたくなんてことは!
ペトルーチオ ばか野郎、この門をたたけと言ってるんだ、能なしめ、しっかりたたかんときさまの脳なし頭をたたき割るぞ。

グルーミオはわざと曲解したのかもしれないが、当時の人々にとっても紛らわしい表現だったのではないか。次の例も ‘ethical dative’とも ‘dative of interest’とも、どちらとも取れそうだ。

  Ariel.  Is there more toil? Since thou dost give me pains,
Let me remember thee what thou hast promis’d,
Which is not yet perform’d me. (The Tempest 1.2.242-244)
エアリアル まだ仕事があるのですか? これ以上働かせるなら、お約束なさったことを思い出してくださいよ、まだそのままなのですから。

この箇所の注には「‘me’は話者の関心をはっきり示すために挿入された代名詞の目的格で、心性的与格(ethical dative)とよばれているもの」とあるが(藤田97) 利害の与格ともとれる。次の例も同様である。

In these times you stand on distance, your passes, stoccadoes, and I know not what. ’Tis the heart, Master Page, ’Tis here, ’Tis here. (The Merry Wives of Windsor 2.1.213-216)
近ごろは、やれ間合いがどうの、やれお突きやお胴がどうのと、うるさく言うことがはやっているようだが、問題は勇気ですよ、ページさん、ここですよ。

この例はSchmidtのSHAKESPEARE LEXICONでは ‘ethical dative’に分類されているが、注には “Almost equivalent to ‘for you’”とあり、(Oliver 1971, 49) 区別は難しい。次に挙げるSHAKESPEARE LEXICONからの二つの用例も同様である。

imagine me,
Gentle spectators, that I now may be
In fair Bohemia; (The Winter’s Tale 4.1.19-21)
どうかご観覧の皆様、私がいまおります舞台は一転して美しいボヘミアであるとご想像ください。

I’ll do you your master what good I can. (The Merry Wives of Windsor 1.4.87)
あんたの旦那のことは私に任せて、できるだけのことはするから。

 このように場合によっては ‘ethical dative’と ‘dative of interest’の区別をつけることは難しい。そのため、『新英語学辞典』によると、 ‘ethical dative’を ‘dative of interest’の一種とみなす研究者もいるようだ。[iv]さらに、同じく『新英語学辞典』によれば、 ‘ethical dative’は「英語ではMEから用いられるようになり、初期ModEには口語(特に俗語)によく見られる」が、「ModEでは古風な表現になり、代わりにfor youなどが用いられる」ようになったとある。つまり、初期ModE時代に会話体で書かれたシェイクスピア作品に頻出する ‘ethical dative’は、強意の役割を次第に失っていき、 ‘dative of interest’としての役割が ‘for you’という形に吸収されていったと考えられる。

Conclusion

 Chapter 1では、‘ethical dative’は単なる意味のない挿入語句ではなく、聞き手の注意を惹起するマーカーであり、話者の感情を反映したものであるということを論じた。また、‘ethical dative’の ‘you’は相手の注意を自分に向ける働きを持つのに対して、 ‘me’は相手の行動を強調する役割があるということについて述べた。

 Chapter 2では、 ‘ethical dative’に関係の近い ‘ethical genitive’について言及し、‘ethical genitive’の ‘your’は ‘ethical dative’の ‘you’と同様に、話者の関心を引くための注意のマーカーとしての役割を持ち、時に話者の感情を強く主張することもあると論じた。

 Chapter 3では、 ‘ethical dative’と ‘ethical genitive’との違いについて論じ、初期ModEで書かれたシェイクスピア作品に頻出する ‘ethical dative’は、注意のマーカーとしての役割を次第に失っていき、‘dative of interest’としての役割が、やがてModEの ‘for you’という形に吸収されていったのではないかという仮説を提示した。

参考文献

G. L. ブルック 『シェイクスピアの英語』 訳者 三輪 信春・佐藤 哲三・濱崎 孔一廊 東京: 松柏社 1998.
石橋 幸太郎 『現代英語学辞典』 東京: 成美堂 1973.
大塚 高信・中島 文雄 『新英語学辞典』 東京: 研究者 1882.
Schmidt, Alexander. Shakespeare Lexicon and Quotation Dictionary. Rev. Gregor Sarranzin. New York: Dover Publications, 1971.
Shakespeare, William. A Midsummer-Night’s Dream. 編注者 石井 正之助 東京: 大修館書店 1987.
Shakespeare, William. As You Like It. 編注者 柴田 稔彦 東京: 大修館書店 1989.
Shakespeare, William. British Library Cataloguing in Publication Data The Taming of the Shrew. Ed. Oliver, H. J. United States: Oxford University Press, 1982.
Shakespeare, William. Hamlet. 編注者 高橋 康也・河井 祥一郎 東京: 大修館書店 2001.
Shakespeare, William. Julius Caesar. 編注者 大場 建治 東京: 大修館書店 1989.
Shakespeare, William. Othello. 編注者 笹山 隆 東京: 大修館書店 1989.
Shakespeare, William. The Arden Edition of the Works of William Shakespeare The Merry Wives of Windsor. Ed. Oliver, H. J. United States: Muthuen & Co Ltd, 1971
Shakespeare, William. The Kenkyusha Shakespeare The Second Part of King Henry ・. 注釈者 市河 三喜・嶺 卓二 東京: 研究社出版 1963.
Shakespeare, William. The Tempest. 編注者 藤田 実 東京: 大修館書店 1990.
Shakespeare, William. The Winter’s Tale. Ed. Schanzer, Ernest. London: Penguin Books, 1986.
Shakespeare, William. Twelfth Night. 編注者 安西 徹雄 東京: 大修館書店 1987.
マンフレート・シェーラー 『シェイクスピアの英語—-言葉から入るシェイクスピア—-』 訳者 岩崎 春雄・宮下 啓三 東京: 英潮社新社 1990.
Simpson, J. A. The Oxford English Dictionary. 2nd ed. Oxford: Clarendon Press, 1989.

Notes

[i] 「民衆的な「関心の与格」というのは今日方言では盛んに使われているとはいえ標準語では古風となっているが、シェイクスピアでは珍しいものではない。この与格は、話し手がその陳述に対して心の中で関心をもっていることを表わすものであり、くだけた会話に現れる」(シェーラー 33-34)

 以下、引用文中の下線は筆者による。

[ii] ブルックの『シェイクスピアの英語』にも同様の記述がある。「前置詞を伴わない代名詞の特殊な用法のひとつに心性的与格(ethical dative)がある。その代名詞の指す人物が、表された出来事に特別な関心を持っていることを示すのに語りで用いられる。心性的与格は語りを一層生き生きとしたものにするのに用いられる口語表現手段である」(ブルック 117)

[iii] この箇所の注に次のような記述があった。

A regular Elizabethan use (Abbott 220) of the so-called ‘ethic dative’ – roughtly equivalent to ‘ knock here for me’ – but Grumio chooses to take ‘me’ as the grammatical object of ‘knock’. (Oliver 1982, 119)

つまり、グルーミオはわざと誤解した。

[iv] 次に挙げるのは『新英語学辞典』の ‘ethical dative’の項からの抜粋である。「心性的与格がこのように利害の与格に近いところからJespersen (MEG, Vol. 3 ∬14.4 2)は心性的与格を利害の与格の一種とする。また心性的与格は文の構造上は余分な目的語であるというので、Poutsma (Grammar, Vol. 1, ch. 3, ∬7-9)は過剰目的語(redundant object)と呼び、感情的要素を添え文体に生気を与えるところからJestersenは感情的間接目的語(emotional indirect object)と呼ことをすすめている。」

 このように学者間の意見にも多少のばらつきがある。

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