Thesis

Bottom’s Dream 1

Bottom’s Dream

米田 拓男

Introduction

 ShakespeareのA Midsummer-Night’s Dreamの中で、僕が特に注目したい登場人物はボトムである。ボトムはこの喜劇作品の中で最も喜劇的な人物であり、職人から、ロバ、ピラマスと3回も変身する変化の多い派手なキャラクターだ。またボトムは作中、妖精を見ることが出来る唯一の人間でもある。ボトムは、本作中とても重要な役割を担っていると思う。そこで今回、僕は、ボトムの登場場面を中心にテキストを精読していった。そして、1つの謎に行き当たった。それは、ボトムは、ロバに変身している間は言い間違えをしないということだった。一体、何故なのだろう。その謎を解こうとしているうちに2つの語の使われ方が気になった。’ass’と’wood’である。本レポートでは、ボトムがロバに変身している間は何故言い間違いをしないのか、という問いに答えようと試みつつ、ボトムの言い間違いのヴァリエーションと、’ass’の二重性、’wood’の特殊な用法に付いて言及する。

Chapter 1 ボトムは何故ロバに変身したのか?–‘ass’の二重性について–

 物語の中盤で職人たちが森で芝居の稽古をしていると、パックがボトムの頭をロバの頭に変えてしまう。ロバに変身するところから、「ボトムの夢」が始まると言っていい。何故、Shakespeareはここでロバという動物を選んだのだろうか。

 Alexander SchmidtのShakespeare Lexicon and Quotation Dictionaryには、’the animal Asinus’という記述しか無い。そこでOEDを引いてみた。すると、動物のロバの他の用法が出ていた。’ass’のsb.1の用法として、

2. Hence transf. as a term of reproach: An ignorant fellow, a perverse fool, a conceited dolt. Now disused in polite literature and speech.

とあり、’ass’には無知な人物や、鈍感な人物に対する侮蔑的な意味があることが記されている。さらに、

c. The ass has, since the time of the Greeks, figured in fables and proverbs as the type of clumsiness, ignorance, and stupidity; hence many phrases and proverbial expressions. (Chiefly since 1500; the early references to the animal being mostly Scriptural, with no depreciatory associations.)

という記述から、ギリシャ時代からロバには無知や鈍感といったイメージとのつながりがあったらしいことが分かった。A Midsummer-Night’s Dreamが書かれたのは、1595-96年頃と推定されているので、これはその頃には一般的に知られていた用法であると考えられる。

 実際、OEDの

d. to make an ass of : to treat as an ass, stultify. to make an ass of oneself: to behave absurdly, stultify oneself.

という項にMNDの用例が出ていた。引用されていたのは次の箇所である。

This is to make an ass of me; to fright me, if they could.
(3.1.113-114)(下線筆者)

 これはボトムの台詞であるが、’ass’ を侮蔑的な意味合いで使っているボトム自身が、実際にロバに変身させられていて面白い。これは、この用法の最も古い使用例になっている。assのこの用法は、ひょっとするとシェイクスピアがつくり出したものなのかも知れない。いずれにせよ、シェイクスピアがボトムをロバに変身させたのは、言い間違いをしょっちゅうしているような、ボトムの軽率な側面にかけてのことだろう。

Chapter 2 何故、森に行ったのか?–‘wood’と‘mad’の関係について—

 A Midsummer-Night’s Dreamで、ボトムと恋人たちが不思議な経験をするのが森の中であるということは特に注目に値することなのではないだろうか。ボトムがassに変わったのと同様、そこには意味があるはずだ。

 劇中、’wood’という語は16回使用されている。そのうちほとんどがforestの意味で使われている。しかし、その中で例外的な用法を2つ見つけた。その一つ目は、

DEMETRIUS    I love thee not, therefore pursue me not.
Where is Lysander and fair Hermia?
The one I’ll slay, the other slayeth me.
Thou told’st me they were stolen unto this wood;
And here am I, and wode within this wood,
Because I cannot meet my Hermia.
Hence, get thee gone, and follow me no more.
(2.1.188-194)

である。ここでの表記は’wode’になっているが、OEDには’wood’の古い表記の一つの例として載っている。石井正之助氏の注には

and wood=and mad (frantic)「気が狂いそう」。次のwood(森)にかけたしゃれ。

とある。そこでShakespeare lexiconで’wood’を引いてみると、形容詞的用法として、madやfranticの意味があると出ていた。OEDには、方言、あるいは、廃れた語として、

wood, a. (sb.2, adv.) Obs. exc. dial. or rare arch.

1. Out of one’s mind, insane, lunatic: = MAD a. ・

とあった。ついでにmad a. ・を引いてみたところ、

Suffering from mental disease; beside oneself, out of one’ mind; insane, lunatic. In mod. use chiefly with a more restricted application, implying violent excitement or extravagant delusions: Maniacal, frenzied.

とあった。しかし、OEDでMNDに触れられていたのは、

b. Violently angry or irritated; enraged, furious.

という用法においてであった。

 いずれにしても、’mad’という言葉は、’go mad’で怒ることを表現するように、冷静さを失った状態をさす言葉だ。

 しかし、何故’wood’に’mad’の意味があるのだろう。イギリスの森は平坦であると聞く。日本の森では迷ったら下山すればよいが、平地の森ではそうはいかない。MNDの舞台はアテネだが、西欧には森へ入って気が狂うというイメージがあるのかもしれない。森に迷って正気を失う、そんなところから生まれた言葉なのではないか。だとすれば、夢の舞台に森を選んだのは理に適っている。

 MNDには、もう一つ’wood’の特殊な用法がある。ボトムが森でタイテイニアと会う場面である。

BOTTOM  Not so, neither: but if I had wit enough to get
out of this wood, I have enough to serve mine own turn.
TITANIA Out of this wood do not desire to go:
Thou shalt remain here, whether thou wilt or no.
(3.1.140-143)

 石井正之助氏の注には、’go (be) out of the wood’には‘危機を脱する’意味があると出ている。そこでOEDを引いてみたところ、

5. Phrases and Proverbs. a. in a wood: in a difficulty, trouble, or perplexity; at a loss.

という用法が出ていた。ひょっとするとボトム自身、あたりのただならぬ様子に危機を感じていたのかもしれない。

Chapter 3 ボトムは何故、言い間違えなくなったのか?

 ボトムはロバに変身するまでの間、ずっと言い間違いをし続ける。そしてロバに変身している間はただの一度も言い間違いをせず、森から戻ってきて職人仲間の元へ戻ったとたん、言い間違いが復活する。ボトムはロバから元の姿に戻って目覚める時、

I will get Peter Quince to write a ballad of this dream. it shall be called ‘Bottom’s Dream’, because it hath no bottom;
 (4.2.210-212)

と言うが、まさに’Bottom’ Dream’の間は、一切言い間違いをしないのだ。恋人たちは森の中に入り、狂気に近づき、妖精たちのいたずらのせいで混乱に陥る。ところがボトムの場合は、ロバの頭で妖精たちに囲まれるという異常な状況の下で、かつてなく冷静に振る舞う。妖精たちを前にして終止一貫して落ち着きくつろいだ態度を崩さない。しかし、よくよく考えてみると、妖精たちに囲まれているのに動じないということの方が不自然だ。妖精たちに囲まれて慌てるのが普通の反応だろう。妖精たちを前にして落ち着いていることの方が間違っている。あるいは、ボトムはロバになり、間抜けな要素が表に出た。だから間違えなくなった、ということも言えるかも知れない。

 だが僕はボトムが’Bottom’s Dream’と名付けた不思議な出来事が、森で起こったということに注目したい。この物語では都会にいる職人たちと恋人たちが森の中に入って行く。都会には理不尽な法律があり、恋人たちはそれを逃れるために森に逃げ込む。都会と森の対比は秩序と無秩序(=mad)の対比であり、意識と無意識の対比でもある。ボトムは森に入り、ロバになり、意識のbottomに行く。言い間違えとはすなわち、ある秩序に適っていないということである。秩序の存在しない森の中では間違いは存在しないのだ。

Conclusion

 ボトムを中心に論じようと思い、ボトムの言い間違えにどのようなヴァリエーションがあるのか、ということに注目しながら精読していたところ、ボトムがロバになっている時には1回も言い間違えをしないことに気付き、その理由を考えてみた。結果的に、その一つの疑問から出発して、’ass’の軽蔑的意味が古くからあったということと、’wood’の思いもよらない用法を知ることが出来た。

 シェイクスピアは’ass’ とか’wood’とかいった一つの言葉の中に言外のイメージを含ませている。’wood’を’mad’の意味で使うことは現在ではなくなってしまったが、他にもシェイクスピアの時代に使われていて、今では使われなくなったイメージがあるのだろう。今回調べたことにより、シェイクスピアの言語のイメージの豊かさを実感することができた。

参考文献

Schmidt, Alexander. Shakespeare lexicon and Quotation Dictionary. Rev. Gregor Sarranzin. New York: Dover Publications, 1971.

Shakespeare, William. A Midsummer-Night’s Dream. 編注者 石井 正之助  東京: 大修館書店 1987.

ウィリアム・シェイクスピア 『夏の夜の夢 間違いの喜劇』 訳者 松岡 和子 東京: 筑摩書房 1997.

Simpson, J. A. The Oxford English Dictionary. 2nd ed. Oxford: Clarendon Press, 1989.

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