Thesis

『テンペスト』と植民地主義 あるいは、バイリンガルとしてのキャリバン

『テンペスト』と植民地主義
あるいは、バイリンガルとしてのキャリバン

米田 拓男

「あんたは言葉を教えてくれたけど、それで俺が得したのは悪口を言うことぐらいだぜ。血の病気にとりつかれて死んじまいな、俺に言葉を教えた罰だ!」(一幕二場三六二−四行)

 シェイクスピア『テンペスト』の中の、プロスペローがキャリバンを自分の召使いに仕立て上げていく過程は、植民活動の過程に照らし合わせて辿っていくことができる。

 プロスペローは魔法によって、島での支配力を強めていくが、実際の植民地支配の現場では、それは銃であり、言語であり、法律であった。中でも、文明の基盤にある言語は、特に大きな役割を果たして来た。

 プロスペローが、物語の舞台となる島を支配するのにも、言葉は大変に有効であった。事実、プロスペローがキャリバンに最初に行ったことは、言葉を教えることであった。

 プロスペローとキャリバンの関係は、友好的なものとして始まるが、途中でそれが変化する。そのきっかけとなるのがミランダに対する、キャリバンの強姦未遂事件である。ことによると、それは通常の求愛行為であり、ミランダもキャリバンに対して好意を持っていたかもしれないのに、プロスペローは、とにかくそれを陵辱と名付けた。そして、それ以降、プロスペローは、言葉によってキャリバンを貶めていくことになる。ミランダをキャリバンに嫁がせるはめにならないように、プロスペローは、キャリバンを、悪魔と獣の領域に貶めておく必要があったのだ。プロスペローと言い争っても、キャリバンは手も足も出ない。プロスペローの話す言葉でプロスペローと論争しても、キャリバンに勝てる見込みが無いのは当然である。

 しかし、キャリバンは反逆に出る。それは、アイルランド先住民やヴァージニアのインディアンが、イギリス支配に抵抗したのに似ている。キャリバンは、ステファノーとトリンキュローという味方を得て、プロスペローの殺害を企てるが、結果的にその目論みは裏目に出る。結果的に、キャリバンの「裏切り者」という本性が立証され、従属状態が正当化されてしまうのだ。そして、最後には、キャリバンは改心し、自らいっさいの権利を放棄するのである。

 こうして、『テンペスト』は、プロスペローにとって満足すべき結末を迎える。キャリバンの、強姦未遂という罪には、奴隷になるという罰が下され、殺害未遂という罪には、使用人になるという罰が下される。これら二つの事件で起こった、キャリバンの立場の変化は、奴隷制度から封建制度への移行に重ねることができる。その関係は、穏健なものになったが、同時に、いっそう強固なものとなった。この結末は、プロスペローにとってというより、ヨーロッパ植民者の夢の成就といえる。

 『テンペスト』は、プロスペローの視点から語られているが、もちろんそれが唯一の視点ではない。プロスペローはキャリバンやエアリアルを嘘つき呼ばわりし、過去の事件、例えばキャリバンの強姦未遂事件や、エアリアルを木の間から助け出したことなどを、自分の言葉で語り直す。しかし、私たちはそれを本当に信じていいものだろうか。プロスペローは、植民史を書く歴史家とは言えまいか。植民する側の人間の意見だけを鵜呑みにするのは危険である。プロスペローが島に漂着した当時のことは、ヨーロッパ人がカリブ海諸島に到着した時と同様、真相への手掛かりが無いのである。

 さて、プロスペローは大きな目的を達成することができたが、キャリバンに残された遺産といえば、呪うための言語と、悲しみを紛らわすための酒だけであった。ヨーロッパの植民地主義の数えきれない犠牲者たち、被植民者は、搾取され、奴隷にされ、征服者の言語を学び、恐らくその価値観さえ、自分のものとしてきた。彼らは自分たちの土着の文化と、支配者によって上から押し付けられた文化との間で引き裂かれている。キャリバンも同様だ。

 言語が彼の牢獄になったのである。言語を通じて、プロスペローはキャリバンの現在を支配し、その未来を制限する。そのことこそが、植民地化のプロセスの最初の重要な成果なのだ。

 しかし、キャリバンは身体的にも文化的にも虐待されながら、言葉によって新たな抵抗の武器を得た。キャリバンは、ステファノが酒に酔っているのと同じくらい、自分の第二の言語に酔っているのだ。私たちは、作品中に、キャリバンの詩的な台詞を見ることができる。

 結果的に、プロスペローの言語は、キャリバンに自分の文化を表現する手段をもたらしたということになる。プロスペローには、キャリバンが文化を持っているなどということは想像もついていない。しかし、キャリバンにはプロスペローが作り出した訳でもなく、コントロールすることもできない文化がある。そしてキャリバンは、それを自分自身のものだと認識している。

 この認識のプロセスに於いて、言語は形を変えて、プロスペローが全く予期できない、それまでとは異なった意味を獲得する。キャリバンはまさに、バイリンガルとなるのだ。プロスペローと共有する言語と、そこからキャリバンが新たに編み出した言語とは同じものではない。こうしてキャリバンは、プロスペローの言語の牢獄を打ち破るのである。

参考文献

ウィリアム・シェイクスピア 『テンペスト』 
  小田島雄志 訳 東京 白水社 

アルデン・T・ヴォーン、ヴァージニア・メーソン・
  ヴォーン 共著 『キャリバンの文化史』 
  橋本哲也 訳 青土社

上野美子 編 『世界の文学 シェイクスピア、
  ラシーヌほか』 東京 朝日新聞社 1999

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