Text

フェステ —知の試金石—

フェステ
–知の試金石–

  Viola. This fellow is wise enough to play the fool ;
   And to do that well craves a kind of wit.
   He must observe their mood on whom he jests,
   The quality of persons, and the time ;
  ヴァイオラ あの人は頭がいいから阿呆の役ができるのね。
   阿呆をうまく努めるには、それなりの知恵がいる。
   冗談を飛ばすにしても、相手の気分、
   人柄や地位、時と場合を見極めなきゃならない。
                     (3.1.59-62)

 この台詞は、ヴァイオラとフェステが初めて出会った直後に、ヴァイオラが語る独白の出だしである。阿呆をやるには知恵が必要。そのことをはっきりと認識し、言明しているのはフェステを除いてはヴァイオラだけである。フェステはまさに神出鬼没、オーシーノ邸とオリヴィア邸を行き来し、作品中いたるところに登場し、ほとんど全ての登場人物たちと関わりを持つ。彼は道化なので、冗談を言ったり、歌を歌ったりして人々を楽しませることを日々の生業としている訳だが、時に調子に乗ると、’Quinapalus’ なる実在しない人物までをも引き合いに出し、

  Better a witty fool than a foolish wit.
  知恵ある阿呆は阿呆な知恵者にまさる(1.5.33-34)

などと名言を吐き相手をケムに巻く。冗談まじりの真実。真実まじりの冗談。冗談のあわいに鋭い一撃。人々はそれになかなか気がつかない。そもそも批評精神がなくては冗談を言うことなど出来ない。真実味のない冗談は面白味に欠ける。それに気付くか気付かないか。阿呆とどこまで渡り合えるか。それによって登場人物の知性の程が知れる。彼は登場人物たちの知の試金石の役割を果たしている。
 『十二夜』はオーシーノとヴァイオラとオリヴィアの円環的な片思いを描いている。フェステはその3人全員と会話を交わす。そこには三者三様のやり取りがあり、それぞれの性格を浮かび上がらせている。三人のうちで最も聡明なのはヴァイオラだろう。彼女は道化のウィットにウィットをもって返し、フェステから一本とる(3.1.1-13)。そして彼女はすぐに道化の頭の良さを見抜いて感嘆し、冒頭に挙げた台詞を言う。オーシーノもフェステの当意即妙の返答に感心して ‘excellent’ と褒める(5.1.22)。しかしフェステの機知については行けず、機知をもって返答することはできない。機知の代わりに金貨を差し出し、かろうじて自らの上位を保っているようにも見える。オリヴィアに到っては、道化の機知に気付くどころか道化を ‘fool’ と罵り続け、尊大な態度で道化のウィットと渡り合おうとするが、逆に彼女こそが ‘fool’ であることが証明されてしまう(1.5.53-68)。しかし、フェステはオリヴィアの言い付けは結構しっかりと守っていて、彼女との掛け合いを楽しんでいるようにも見受けられる。
 という訳で、3人の賢さの順位は、1位オリヴィア、2位オーシーノ、3位ヴァイオラ、といったところになるだろうか。ちなみにこの3人以外では、フェステはマライアを、

  if Sir Toby would leave drinking, thou wert as witty apiece
  of Eve’s flesh as any in Illyria.           
  サー・トービーが酒さえやめりゃ、あんたはイリリア一
  の頭の切れるおかみさんになれるんだがねえ。
                     (1.5.26-27)

と高く評価している。

Comments & Trackbacks

Trackback URL http://shakeweb.co.uk/spear/text/41.html/trackback





ページトップへ