The Economist の記事を訳出しました。
Prostitution: Sex doesn’t sell
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売春
売りものにならない性
歴史ある産業が、深刻な不況にあえぐ
2013年6月15日
イングランド西部で他の「大人の女性たち」と共同でプライベート・フラットを経営する娼婦、デビーにとって、いまは生きにくい時代だ。彼女は、現在、1日に2回か3回、客をとっているが、1年前であれば、8回か9回、客をとっていた。彼女は値下げを断行した。「そうでもしなかったら、続けていられなかったと思うわ。」いまでは家具を組み立てたり、フリーマーケットに出店する方が、体を売るよりも稼ぎになる、と彼女は言う。
5,000以上のマッサージ・パーラーや娼婦のレヴューを掲載するWebサイトを運営するジョージ・マッコイは、多くの人々がもがいていると言う。性産業で働く人々は、値下げを強いられているそうだ、と彼は言う。他の産業と同様、マッサージ・パーラーやプライベート・フラットは、家賃とエネルギー・コストの値上がりに苦しんでいる。マッコイ氏のWebサイトですら、厳しい状況にある。訪問者は3分の1減少した。

大衆市場における性産業の行き詰まり
このことは、ある程度は、停滞する経済を反映している。2012年末の時点での総消費支出は、2007年のピーク時と比べて、4パーセントほど低かった。イングランド南部で、写真家としての収入の足しに、パートタイムでどこにも属さずにエスコートとして働くヴィヴィアンは、性にお金を使うことはいまや贅沢なのだ、 と言う。「食べ物の方が重要だし、不動産はもっと重要。ガソリンはさらに重要だもの。」彼女は不況に入ってからは、客がまったくつかないより20ポンド(3,000円)値下げした方がマシと、料金をディスカウントしている。ある客たちはセックスをしたがるのと同じくらい就職難について話したがっている、と別の女性は言う。
少なくとも大きな町や都市では、売春ですべての生活費をまかなえる日々は遠いものとなった、とヴィヴィアンは考えている。「今はバカバカしいほど競争が激しくなっているのよ」と、彼女は嘆く。英国売春共同体のキャリ・ミッチェルは、かつてより多くの人々が売春をするようになっている、と認める。ウェストミンスターで働く女性たちのある部分は、市場がとても冷え切っているため、料金を半額にしたと言う。ロンドンでは、また次第にその他の地域でも、他国からの移民が競争を激化させている。しかしエディンバラの高級エスコート、ソフィによれば、学生や最近失業した人々を含む新人たちが流入してきており、同程度の料金を提示しているのだと言う。
それに比べ、性産業のある部分は安定している。スコットランドの別のエスコート、マリーは、市場の要では、習わしがすっかり廃れた訳ではない、と言う。彼女によると、ディスカウントをせがまれるという報告をする女の子は次第に増えているという。しかし、値下げした人も、時に、バーゲンに引き寄せられてきた客を見てこれはまずいと思いとどまり、すぐに再び値上げする。マッコイ氏によれば、SMの市場もまた、良く持ちこたえているという。もっとも安価なマッサージ・パーラーのいくつか、例えば、無一文には魅力的なシェフィールドの「クラブ25」(その店名は価格を表している)は、繁盛している。一部の新店舗は、電話やWebカメラを使ったサービスを格安で提供している。
料金がもっとも低く、生きていくのがもっとも過酷なストリートでは、話はもっと悲惨だ。性産業で働く人々に公共医療サービスを提供する、ロンドン東部の国民健康保険センター「オープン・ドアーズ」の事業主任、ジョージナ・ペリーは、過去2、3年において、掃除婦などの低賃金の仕事についた元娼婦たちの一部が、他の仕事を見つけるのが困難になったことで、性産業に戻ってきた、と言う。20ポンド(3,000円)がせいぜいの見返りで、そういった女性たちはストリートに帰ってくる。
こういった変化の大部分は、イギリスの不安定な非正規雇用の経済における、より広範な趨勢を反映している。しかし、性の仕事に伴う危険は、他の産業のそれよりも大きい。Webサイトに宣伝を出す新人たちは、自分のプロフィールに、顔写真やメールアドレス、大胆なサービスの申し出を掲載していると、エディンバラのエスコート、ソフィは、あっけにとられたように言う。娼婦たちは、客を求めて彷徨い、見知らぬ、危険であるかもしれない男たちと交渉しなくてはならない。性産業で働く人々に暴力被害の報告を促す施策「アグリー・マグ」に、6月に入ってから、310人がコンタクトしてきた。しかし、警察に行ったのは、そのうちたった4分の1だった。性産業で働く人々は、少ない見返りのために、大きなリスクを背負っているのだ。
| 2013/06/27
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Online privacy: How to disappear
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オンライン上のプライバシー
どのように姿をくらますか
それは難しい。そして、さらに難しくなっていく。
2013年6月15日

アメリカのスパイ活動の詳細が公になるにつれて、ジョージ・オーウェルの常に監視する国家についての寓話『1984』の売り上げが急速に伸びている。そして同様に、戦略技術共同体(タクティカル・テクノロジー・コレクティブ)によって運営されているWebサイトへのトラフィックも急速に伸びている。共同設立者のステファニー・ハンキー氏も、「人々に自分たちが監視されることについて納得してもらうのは容易ではないだろう」と認めている。もはや容易でないことは明白だ。
監視反対論者たちは、いつも、疑いを招くようなコミュニケーションを人目から隠しておくために手間のかかる手段をとってきた。しかし、今やコンピュータは、ありふれた活動の中にさえ、疑わしいパターンを検知する。それは、もっとも献身的な秘密活動家たちに、さらなる警戒を要求する。そして彼らは、三つの試練に直面することになる。
ひとつ目は、情報の伝達過程における、第三者からの詮索の阻止である。暗号化されていないEメールは、絵はがきと同じくらい無防備であると、ヨーロッパ大学協会(ヨーロピアン・ユニバーシティ・インスティテュート)のインターネット専門家のベン・ワグナー氏は警告する。いくつかのWebクライアントで機能する暗号化ソフトウェア、Pretty Good Privacy(PGP)は、このような盗み読みを防ぐことができる。
もう一つの課題は、どこであれスパイが忍び込んでいるところからデータが盗み出されるのを防ぐことである。それは、政府に情報を流しているとみて間違いない、ソーシャル・ネットワークや検索エンジンのようなサービスを使わないことを意味する。あるいは、未踏の領域にそれらにとって代わる手段を見つけ出すしかない。フリーウェアがたくさんインストールされたデスクトップ・コンピュータこそが、安全なEメールサーバを構築するものだ。だから真の秘密活動家は、通信機器から、一企業が独占的に開発したオペレーティング・システムを除外する。(オペレーティング・システムのほんの一部が危険にさらされることで、あなたのすべてのファイルがアクセスされてしまわないように。)
コミュニケーションがあったかどうかを記録するシステムを回避するのは、さらに困難を極める。「モバイルを使用するのは、あなたが為しうる最悪の行為だ」と、戦略技術共同体のマレク・ツチンスキー氏は言う。電話会社が残している通話ログに記録が残らないようにするのは困難だ。それに比べれば、インターネット利用者は、より安全である。Torのようなフリーウェアは、巧妙な経路でリクエストを送信することで、その身元を隠すことができる。
しかし、レーダーの網にかからないでいるのは、うんざりするほど労力を強いられるものであり、それを維持するのは難しい。無配慮な他人とのコンタクトは、覆いを吹き飛ばす可能性がある。技術オタクでさえ、より単純なやり方で、自らを危険にさらしうる。とても基本的なプライベートモードを提供しているグーグルのブラウザ’Chrome’は、ユーザに対して皮肉っぽく「あなたの後ろに誰か立っていないか」気をつけるように警告する。
ハンキー氏は、人々のプライバシーを守るために、テクノロジーだけでなく、法律を好むかもしれない。彼女は、ヨーロッパやそれ以外の国の政府に、アメリカの「デジタルによる独占」にとって代わる手段を後押ししてもらいたいと望んでいる。一方、ワグナー氏は用心深くあることを推奨する。曰く、「おそらくある種のものは、そもそもはじめからオンラインにあってはならないのだ。」
| 2013/06/23
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The Economist Mar 4th 2010
The war on baby girls
Gendercide
女の子の赤ちゃんを巡る戦争
ジェンダーサイド-「性別による虐殺」-
殺され、堕胎され、放置され、少なくとも1億人の女の子が消えた-
そしてその数は増えつつある
想像してみて欲しい。あなたは、急速に成長する貧しい国で、初めての子供を待ち望む若いカップルのひとりだ。あなたは、新しく生まれた中流階級に属している。あなたの収入は増えつつある。あなたは小さな家族を望んでいる。しかし、娘より息子を重視する伝統的な価値観があなたの周囲を支配している。恐らく、家族が生活していくためには、過酷な肉体労働が依然として必要とされるだろう。恐らく、息子だけが土地を相続できる。恐らく、娘は結婚によって他の家族の一員となる運命にあるが、あなたは年老いた時に誰かに面倒を見てもらいたいと思っている。恐らく、娘は持参金を必要とする。
次に、あなたは超音波スキャンが使えると想像してみて欲しい。それには12ドルかかるが、支払えない額じゃない。スキャンは、お腹の中の子供が女の子であると告げる。あなた自身は、男の子を望んでいる。あなたの家族も、男の子を欲している。あなたには、女の子の赤ちゃんを殺す気なんてさらさらない。辺鄙な場所で村人たちが殺しているようには。しかし、堕胎は、それとは違って見える。さあ、あなたならどうする?
大多数のカップルは次のように答える。娘を堕胎し、次の子供が息子であることに期待を繋ぐ、と。中国や北インドでは、100人の女の子につき、120人以上の男の子が生まれている。自然の摂理では、女の子よりも男の子の方が若干多く生まれるものだ。男の子の方が幼児期の病気に罹りやすいことを相殺するために。しかし、ここまでの差になることはない。
中絶に反対する者にとって、これは大量虐殺に等しい。中絶は(ビル・クリントンの言葉を借りれば)「安全で、合法で、めったにない」ものでなくてはならない、という本紙のような立場を取る人々にとって、中絶の是非はその状況に大きく依存するとはいえ、このように個人が行動する社会にもたらされる累積された結果は甚大である。中国だけに目立って、「葉のない枝」と呼ばれる、アメリカの若い男性すべてに匹敵する大勢の若い独身男性がいる。どこの国でも、家庭を持たない若い男性は、トラブルの元となる。アジアの社会では、結婚と子供は、一般に認められた社会参加へのステップであり、独身男性は無法者とほとんど同義だ。犯罪率、汚職、性犯罪、そして女性の自殺率さえもすべて増加傾向にあり、男女比が偏った世代が成人に達すれば、それらはさらに増加することになるだろう。
これを「性別による虐殺」と呼ぶのは誇張でも何でもない。女性は100万単位で行方が分からなくなっている。堕胎されたか、殺されたか、放置されて死に至ったか。1990年に、インドの経済学者アマルティア・センは、その数を100万人と見積もった。今では、犠牲者はさらに増えている。わずかな慰めは、多くの国々はその被害を抑えることが可能だということだ。そして、その中のひとつの国、韓国は、最悪の結果は回避されうることを示した。他の国々は、韓国から学ぶ必要がある。もしも彼らに虐殺を止める気があれば。

幼い姉妹たちの喪失と死
中国と北インドに不自然なほど男の子の数が多いことは良く知られている。しかし、ほとんどの人が、その問題がいかに深刻であるか、あるいはそれが増加し続けていることに、気づいていない。中国では男女比の不均衡は、1980年代に生まれた世代では、女の子100人に対して男の子108人だった。2000年代初頭では、女の子100人に対して男の子124人だった。中国のいくつかの地方では、その割合は、女の子100人に対して男の子130人と例を見ない比率になっている。虐殺は、中国で最悪だが、より広範に広がってきている。台湾やシンガポールを含む他の東アジアの国々、西方のバルカン半島とコーカサス地方のかつての共産主義国、そしてアメリカの人口の一部(例えば、中国系や日系のアメリカ人)は、すべて男女比が釣り合っていない。「性別による虐殺」は、ほとんどすべての大陸に存在する。それは、富む者、貧しい者、教育を受けた者、読み書きができない者、ヒンドゥー教徒、ムスリム教徒、儒教徒、キリスト教徒、すべてを同様に蝕んでいる。
富はそれを抑制しない。台湾とシンガポールは、開かれた豊かな経済国だ。中国とインドで男女比がもっとも釣り合っていないのは、もっとも豊かで、もっとも教育が進んだ地域だ。そして、これほど多くの他の国々が蝕まれているからには、中国の一人っ子政策は、問題の一部でしかありえない。
実際のところ、女の子の赤ちゃんの虐殺は、3つの圧力の産物だ。息子を望む古めかしい嗜好、より小さな家族を求める現代的欲望、そして、超音波スキャンを始めとする、胎児の性別を判断するテクノロジーである。子供の数が4人とか6人が普通の社会では、結果的にほぼ確実にひとりは男の子が生まれる。息子への嗜好は、娘の犠牲の上に存在するべきではない。しかし、今日では、カップルはふたりの子供を欲しがる。あるいは、中国ではひとりしか許されていない。彼らはひとりの息子を求めて未だ生まれぬ娘を犠牲にすることになる。中国とインドの現代的で開かれた地域でもっとも性別の割合が釣り合っていないのは、それが原因だ。また、最初の子供の後、割合がさらに釣り合わなくなるのも、そこに原因がある。両親は、初めての子供に娘を受け入れるかも知れない。しかし、恐らく最後となる次の子供が男の子となるように、何らかの手を講じるだろう。いくつかの地域では、3人目の子供の男女比には、2倍以上の開きがある。
空の半分が落ちてくるのをどのように防ぐか
このように、女の子の赤ちゃんは、古めかしい偏見と小さな家族を求める現代の嗜好の悪辣な組み合わせの犠牲となっている。ひとつの国だけが、このパターンを変えることに成功した。1990年代には、韓国は、中国とほぼ同じくらい性別の割合が釣り合っていなかった。今日では、それは自然な割合に向かっている。韓国はこれを意識的に成し遂げたのではなく、その文化が変容したのである。女子教育や、差別に対する訴訟、平等の権利の浸透が、息子への嗜好を、古臭く不必要なものに見せたのである。現代の要請が、最初は偏見を助長し、次にそれを克服したのだ。
しかしこれは、韓国が豊かになった時に起こったことだ。もしも、収入が韓国の水準の4分の1と10分の1である中国とインドが、韓国と同じくらい豊かになるまで待つとすれば、何世代分もの時間を要するだろう。変化のスピードを早めるために、彼らはいずれにせよ自身の関心に基づく行動を起こす必要がある。中国が一人っ子政策を撤廃すべきなのは火を見るより明らかだ。中国の指導者たちは、人口増加を恐れ、一人っ子政策の撤廃を拒み、人権への西洋の心配を否定するだろう。しかし、一人っ子への制限は、出生率を減らすのにもはや必要ではなくなっている。(それはかつては必要だったかもしれないが、中国同様、他の東アジアの国々は、人口問題をある程度解消した。)そして一人っ子への制限は、その国の性別の割合の均衡を大きく損なわせ、酷い結果をもたらす。胡錦濤国家主席は、「調和した社会」を作り出すことが自分の信条だと言う。それはひとつの政策が家族の生活をここまで深刻に歪めている間は達成されようがない。
そしてすべての国々は、女の子の価値を高める必要がある。彼らは女子教育を奨励しなくてはならない。娘が財産を継承することを妨げる法律や慣習を撤廃しなくてはならない。自然の摂理ではありえない男女比になっている病院や医院を見せしめとして罰さなくてはならない。テレビキャスターから婦人警官に至るすべてを動員して、女性を社会生活に組み込まなくてはならない。毛沢東は、「女性は空の半分を支えている」と言った。空を落下させることになる「性別による虐殺」を防ぐために、人々はもっと手を尽くさなくてはならないのだ。
| 2010/05/03
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今週のThe Economistから書評を訳出しました。
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The Economist Feb 25th 2010
University education in America
Professionalising the professor
アメリカの大学教育
大学教授の専門化

The Marketplace of Ideas: Reform and Resistance in the American University.
By Louis Menand.
この巧妙で知的な小品は、博士号を取得することを考えているすべての学生に読まれるべきである。そうすれば彼らは、他の道に進もうと決心するだろう。アメリカの大学で奇妙な事態が出来しているため、ハーバード大学の英文学教授ルイス・メナンドは、それをすばやく本にまとめた。
彼の関心は主に人文学-文学、語学、哲学など-にある。これらは、時代遅れになりつつある学問である。というのも、今や、アメリカの大学卒業者の22パーセントがビジネスを専攻しているのに対して、たった2パーセントが歴史学を、4パーセントが英文学を専攻しているに過ぎないからだ。しかし、アメリカの一流大学の多くは、学部生に、すべての教養人が持っていなくてはならない必要不可欠な考え方にまつわる規範から、基礎を習得して欲しいと望んでいる。しかし、そのほとんどの大学が、「普通教育」というものがどのようなものであるべきか、合意を得るのは難しいと気づいている。ハーバードでは、「偉大な本は読まれる。何故なら、それらは読まれているからである」と、メナン氏は記す。つまり、それらの書物は、社交上の接着剤のようなものとなっているのである。
そのような学科を構想し、教えることが難しい理由は、ひとつには、人文学教育と専門職教育は切り離され、別々の学校で教えられねばならないというアメリカのトップの大学による主張に、そのような学科は真っ向から対立するからである。しかし実際は、多くの学生は、両方を学ぶ。ハーバードの大学生の半分以上が、法学、薬学、あるいはビジネスに行き着くが、将来の医者や法律家は、専門家としての資格取得に乗り出す前に、専門外の人文学の課程を学ばなければならないのだ。
このように分離によってその専門課程を専門化することの他に、アメリカのトップの大学は、教授職をも専門化した。学問的研究への公費の増大はその進展を早めることになった。連邦政府の研究助成金は、1960年から1990にかけて4倍に増大した。しかし、研究の代償として、学部で教える時間は半分に減少した。専門化主義は、博士号の取得を、学問の世界での立身出世の必須条件にした。1969年に至っても、アメリカの大学教授の3分の1は、博士号を持っていなかったというのに。しかし、メナン氏の主張によれば、専門化主義の背後には、「ある種の専門化に必要な知識と技術は、伝達はできるが、譲渡することは出来ない」という、鍵となる考え方があるという。そのため学問は、知の生産だけではなく、知の生産者の生産をも牛耳っているのだ。
人文学ほど熱心に専門化主義に固執してきた学問はない。メナン氏が指摘するように、法律家には3年でなれるし、医者には4年でなれる。しかし、平均的に見て(平均!)、人文学の博士号を取得するのには9年かかる。(アメリカの学生への宣伝。あなたはイギリスのトップの大学で、4年未満で完全無欠の博士号を取得することができます。)英文学専攻の博士課程の学生の半分までもが、学位を取得する前にドロップアウトするのは、驚くに値しない。
同様に、学生のたったの半分しか、それを得るために大学院に入学した職、つまり終身在職権を与えられた教授職にありつけないという事実も、驚くには値しない。単純に、ポストがあまりに少なすぎるのだ。この原因の幾分かは、大学が博士号を、かつてないほど量産し続けていることにある。しかし、人文学系の科目を学ぼうとする学生は少なくなってきている。1970年から71年にかけて、英文科は、その20年後よりも多く学士号を授与していた。学生が減れば、教員も減る。だから、論文執筆の十年間の最後で、多くの人文学系の学生はその専門課程を去り、それまで訓練を受けて来なかったことをする羽目になるのだ。
高等教育を改革する鍵は、「知の生産者が生産される」方法を変えることにあると、メナン氏は結論づける。さもなければ大学人は皆、危険なまでに似通った思考を続け、彼らが研究、調査、批評する社会からますますかけ離れてしまう。「学問的探求は、少なくともいくつかの分野では、排他的な方向ではなく、より全体的な方向に向かう必要があるだろう。」しかし、一体どうしたらそれが実現できるのか、メナン氏は述べていない。実際には、お風呂のお湯と一緒に赤ん坊も流してしまうことにもなりかねない。つまり、学問的内向性に向けられた大衆のいらだちが、自由社会においてもっとも貴重な学問の権利である独立を、いくらか失わせることにだってなりかねないのだ。
| 2010/03/08
| The Economist, Translation
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今週のThe Economistから記事を訳出しました。
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The Economist Feb 25th 2010
Technology
The data deluge
テクノロジー
データの豪雨
企業や政府、共同体は、その大きな可能性をようやく活用し始めようとしている
18ヵ月前、小売業者のための供給チェーン管理会社、リー&ファンは、ネットワークに毎日100ギガバイトの情報が流れていることに気づいた。今や、その総計は10倍に膨れあがっている。2009年中には、イラクとアフガニスタンの上空を飛ぶアメリカの無人飛行機が、およそ24年分に相当するビデオ映像を送って寄こした。今年配備される新しい機種は、先行機種の10倍ものデータストリーム(訳注:バイト単位の転送データ)を送ってくるだろうし、2011年には、それは30倍になるだろう。
どこを見渡してみても、世界の情報量は急激に増加している。ある見積りによると、2005年に人類は150エクサバイト(1,500億ギガバイト)のデータを生み出したという。今年、人類は1,200エクサバイト(12,000億ギガバイト)を生み出すという。この情報の豪雨は、ついて行くことすら、そして有益であるはずのその幾分かを保存しておくことすらとても難しい。ましてやそれを分析して、パターンを見つけ出し、有益な情報を引き出すのは、困難を極める。しかし、たとえ困難だとしても、そのデータの豪雨は、ビジネス、行政、科学、そして毎日の生活を、すでに変え始めている。消費者、企業、政府が、データの流れをいつ制限し、いつ促進するのか正しい選択をする限りにおいては、そこには大きな可能性がある。

ゴミの中からダイヤモンドを選り分けろ
一部の業界は、データを収集して活用することの能力でその道をリードしてきた。クレジット・カード会社はすべての購入を監視し、何十億もの決済を処理して見つけた法則によって、かなり正確に不正を特定できる。例えば、盗難されたクレジット・カードは、ワインよりも蒸留酒を購入するのに使われる傾向がある。何故なら、蒸留酒の方が売り払いやすいからだ。また保険会社は、疑わしい支払い要求を特定する手がかりを精査するのに秀でている。不正な支払い要求は、火曜より月曜にされることが多い。何故なら、事故をでっち上げる保険契約者は、偽りの証人として友人を週末に集める傾向があるからだ。こういった多くの法則を精査することによって、どのカードが盗まれたものか、どの支払い要求が偽りか、見分けることが可能になるのだ。
一方、例えば携帯電話会社の人間は、頻繁な通話の多くにライバルの回線が使われていないかどうか判断するため、契約者の通話パターンを分析する。もしもそのライバルの回線が、その契約者を離れさせる原因となるかもしれない魅力的なプロモーションを展開しているようであれば、彼、あるいは彼女に、思い留まらせる動機を与えることができるかもしれない。最近では、新しい業界のみならず古い業界も、同じくらい熱心にデータを解析している。小売業者は、オンラインのみならずオフラインでも、データ採掘(あるいは、昨今知られるところでは「ビジネス・インテリジェンス」)の達人だ。スーパーマーケットは、「バスケット・データ」を分析することにより、特定の客の嗜好に合わせてプロモーションを調整できる。石油業界は、鉱泉を掘る前にスーパーコンピュータを使い、地震データを収集する。そして天文学者は、望遠鏡を星に向けるだけでなく、クエリ・ツールのソフトウェアをデジタル天体観測で使用することが多い。
この技術をもっと発展させることは可能だ。長年の努力にも拘わらず、警察と諜報機関のデータベースはほとんど連携されていない。健康管理では、カルテのデジタル化が、健康状態の傾向を、特定し、監視し易くし、様々な治療の効果を評価し易くするだろう。しかし、健康状態の記録をコンピュータ管理化するための多大な努力は、行政的、技術的、倫理的な問題に阻まれることが多い。オンライン広告は、オフラインの広告に比べて、すでにかなり正確にターゲットを絞り込めているが、さらに個人に向けてターゲットを絞り込める見込みがある。そうすると広告主は、より高い広告費を喜んで支払うことになるだろう。このことは、続いて、オンライン広告を受け入れる準備が出来た消費者に、より豊かで広範な無料のオンライン・サービスが提供されるようになることを意味する。そして政府は、犯罪件数、地図、政府契約の詳細、あるいは公共サービスの実績の統計といった、より多くの情報を公共の場所に掲載するという考えに、ようやく辿り着いた。人々は、起業するためや、当選した役人の責任を追求するために、こういった情報を新しいやり方で再利用できる。このような新しい機会を握る企業、あるいは他社にそのツールを提供する企業は、繁栄することになるだろう。ビジネス・インテリジェンスは、ソフトウェア業界の急速に成長する部門のひとつなのだ。
そして、悪い知らせに備えて
しかし、データの豪雨には危険もある。データベースが盗難に遭うことにまつわる例を挙げてみよう。ディスクに一杯に詰まった社会保障のデータがなくなる。税金の記録が入ったラップトップをタクシーの中に置き忘れる。クレジット・カードの番号がオンラインの小売業者から盗まれる。その結果は、プライバシーの侵害、個人情報の流出、そして詐欺である。また、プライバシーの侵害は、このような不正行為なくしても起こりうる。フェイスブックやグーグルが、突然、オンラインのソーシャル・ネットワークのプライバシー設定を変更し、会員が図らずも個人情報を曝すことになる時に定期的に起こる騒ぎを見よ。様々な権威主義的独裁は、特に政府が企業に顧客の個人情報を渡すよう強いるような時、より不吉な脅威となる。人々は、自分の個人情報が保管され管理されているということよりもむしろ、その管理が疎かにされていることに気づくことの方が多い。
データの豪雨に伴うこういった欠点に対処する最善の方法は、矛盾するようだが、いくつかの領域でさらなる透明性を要求し、正しい方法でデータを入手し易くすることである。第一に、ユーザーは、他人に所有されている自分に関する情報に、それが誰と共有されているかということも含め、より十分にアクセスでき、コントロールできなくてはならない。グーグルはユーザーに、ユーザーについて何の情報を持っているか把握させている。そしてユーザーに、例えば、検索履歴を消去したり、あるいは、掲載広告の傾向を修正したりできるようにしている。第二に、世界のいくつかの地域ではすでにそうなっているように、各種組織は、組織の代表の情報セキュリティに対する意識を高めさせるためにも、セキュリティ侵害について情報開示を求められなくてはならない。第三に、組織は毎年セキュリティ監査を受け、(明らかになった問題の詳細までとは言わないまでも)結果のランクを公表する必要がある。これは、企業にセキュリティを最新の状態に維持するように促すことになるだろう。
そして、データをしっかりと管理する組織がしない組織より好まれるようになれば、市場のインセンティヴは機能するようになる。イノヴェイションの息の根を止めるややこしい規制を必要とせずとも、これら三つの領域のさらなる透明性が、セキュリティを向上させ、人々に、自分に関するデータをよりコントロールする力を与えるだろう。つまるところ、データの豪雨に対処することを学ぶ過程、そしてそれをどのように利用するのが最善かを考える過程は、まだ始まったばかりなのだ。
| 2010/03/05
| The Economist, Translation
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