大麻規制/ドラッグの正しい使い方

The Economist の記事を訳出しました。
Regulating cannabis: The right way to do drugs
原文はこちらから読めます。


大麻規制
ドラッグの正しい使い方

大麻合法化の流れが優勢となったいま、議論はより難しい規制へと向う

2016年2月13日

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その光景は、ハシシュによって引き起こされる幻覚のように現実離れして見える。幾重にも連なる緑、芽を出す植物、それを手入れする白衣をまとった技術者たち。彼らが当局に煩わされるのは、税金を納める時だけなのだ。大麻はかつて秘密裏に栽培され、殺人をも厭わないカルテルによって取引され、刑務所に収監されるリスクを冒す消費者によって喫煙された。今日では、世界中の国が医療目的のためにドラッグのライセンスを取得しており、いくつかの国は、それをさらに推し進めようとしようとしている。これまでのところ、アメリカの4つの州(訳注:コロラド州、ワシントン州、アラスカ州、オレゴン州の4州と、首都ワシントン)が、レクリエーション目的での大麻の使用を認めている。小国ウルグアイは、G7に加盟している大国カナダにより、合法大麻クラブに間もなく迎えられるだろう。メキシコから南アフリカにいたる議会は、独自の改革について議論している。

合法化は禁止よりも良いと主張してきた(本紙を含む)人びとは、大麻についての無益な争いが収束に向うことを歓迎する。大麻はその規模3,000億ドルの違法な麻薬市場のほぼ半分を占め、世界の2億5,000万人の違法薬物使用者の大多数が選択するドラッグだ。それを合法化することは、組織犯罪からまさしく最大の収入源を断つ一方、消費者である良き市民を保護し増やしていく。

しかし、禁止を取り消すということは、大麻規制のあり方について複雑な議論が開始されるということでもある。官僚視点での詳細、つまり、どのように課税するか、どのような多様性を認めるか、誰が誰に売るのか、これらの問いは、合法化の相反する目的のうち、どれにもっとも価値を置くのか、政治家に決定を強いる。カナダのような草分けは、世界の他の国々がマネすることになるであろうルールを作っている。一度策定されれば、覆すのは難しいだろう。これらの決定を正しく行うことが、最終的に合法化が成功するか失敗するかを決定付ける。

ハシシュケーキを手に取って食べてみよう

合法化の支持者には、個人や商業の自由を最大化したいリバタリアンと、禁止は実践的な合法化と規制よりも有効性に欠けることを理解する保守派とが、奇妙に混ざりあっている。ヒッピーと強硬派は、合法化のための強力な同盟を形成した。しかし、大麻の取引きが正確にどのように機能するのか問われた時、例えば、どの割合で課税し、消費量に制限を設けるのかどうかを問われた時、彼らは自分の意見が矛盾していることに気づくだろう。

リバタリアンは、なぜ、致死量が確認されていない大麻が、自由に情報に基づいて決定できる大人に対して、完全に規制されなければならないのか、疑問に思うかもしれない。気に留めておくべき、ふたつの根拠がある。第1に、大麻は使用者の少数に依存性を誘発すると考えられるので、喫煙するかどうかの決定は自由意志に基づくとは言いきれないこと。第2に、大麻の違法性は、その長期的な影響についての研究は不確かであるので、十分に豊富な情報を与えられた決定でさえ、不完全な情報に基づいていること。決定が、常に、自由な訳でもなく、十分に情報が与えられている訳でもない場合、アルコールとタバコがそうであるように、そのような状態は消費者を遠ざけることで正当化される。

したがって、リバタリアンは譲歩する必要がある。国は、消費量を抑制するため、消費者を最初に非課税のブラックマーケットに向かわせない程度にではあるが、使用者に課税することができる。税の「適正な」レベルは、国の状況によって異なる。乱用がまれで、ブラックマーケットが恐ろしく強大なラテンアメリカでは、政府は低価格を維持する必要がある。問題のある使用がより一般的で、ドラッグディーラーが国家安全への脅威というよりは悩みの種のひとつに過ぎない豊かな国では、価格は高くなるかも知れない。モデルとなるのは禁酒法後のアメリカだ。密売業者を追い出すために、酒税は最初は低く設定された。後に、マフィアがいなくなってから、それは値上げされた。

どの製品を認可するかを決める際にも、同様のトレードオフが適用できる。大麻は、もはや単なるマリファナタバコを意味しない。合法的な起業家は、喫煙だったら避けていたであろう顧客にまで手を伸ばし、マリファナの入った食べ物や飲み物を製造している。超強力な「濃縮物」(訳注:大麻を樹脂状、粉末状に濃縮したもの)が、吸入や服用目的のために売られている。食べ物や効き目の強い品は、違法なディーラーを廃業させるのを助けるが、より多くの人びとにより強力な形でドラッグを摂取させるリスクもある。出発点は、すでにブラックマーケットで手に入るものだけを合法化することであるべきだ。そこで効力を発揮するのは、制限や課税だ。蒸留酒のように高く課税されれば、ビールのようには手に入りにくくなる。ここでも、その混ぜ具合は異なってくるだろう。ヨーロッパは、濃縮物を禁止することができるかも知れない。しかし、アメリカは、すでにその味を覚えている。もしも濃縮物が非合法化されれば、マフィアが喜んで参入してくるだろう。

ある点においては、政府は断固として反自由主義であるべきだ。広告はアンダーグラウンドではまず存在しないが、合法の世界ではそれは新たに広大な需要を喚起する可能性がある。それは禁止されねばならない。多くの国が風味のついたタバコやアルコールの入ったお菓子を禁止しているのと同様に、魅惑的な包装や、子供たちにアピールする大麻のお菓子などの製品は禁止されるべきだ。国は、ハイになるためのもっとも害の少ない方法を促進させるために、税制と公教育を使うべきだ。合法的な市場は、煙の肺へのダメージを低減する電子タバコに対する、マリファナからの回答とも言える製品をすでに作り出している。

アメリカでは、連邦政府が大麻を禁止しているので、いくつかの小さな州の、過度の重荷を背負わされた公務員が、最初の規制を策定することになった。効き目をテストすることや、安全に運用できる限度を設けること、その他多くの問題を解決することは、通常であれば彼らにアドバイスする連邦政府機関(例えば、世界で最も先進的な医薬品の監視機関、アメリカ食品医薬品局のような)が手の内にあれば、これほど楽なことはない。そして、連邦政府が大麻広告を抑制しないことは、憲法修正第一条を盾にとる企業により、ドラッグがタバコより広く売り込まれることを意味する。連邦政府の静観政策は慎重に聞こえるが、実際には無責任なだけだ。

慎重に、しかし大胆に

同様に、合法化に賛成する運動家も反対する運動家も、新しい現実に合わせる必要がある。ドラッグを禁止したがる人びとは無駄なあがきはやめて、(禁止を求めるのではなく、飲酒への高い課税を求めてロビー活動をする最近の禁酒運動のように)害を最小限に抑える合法化のための運動を開始すべきだ。一方、合法化する側は、これまでは組織的な犯罪者より価値があると認められさえすれば良かった合法的なマリファナ産業が、今日では自分の縄張りを用心深く見張っている他の「不道徳な」産業と同じくらいの精査を必要としているという事実に目を向ける必要がある。ある日一大マリファナ産業(訳注:原文ではBig Cannabis。タバコ産業を揶揄する言葉、Big Tobaccoのもじり)を受け入れざるを得なくなるより、最初の段階で大麻についての方針を固めておく方が良いだろう。

Cloud computing: The sky’s limit

Cloud computing
The sky’s limit
from The Economist

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Cloud computing industry is now blooming. Amazon is one of disruptive newcomers. If Amazon’s cloud-computing unit were a stand alone company, it would be worth as much as Dell and EMC combined. Cloud services are more secure than private computers because providers know better how to protect their computing system against hackers.

But there is one problem. Cloud computing tend to “lock-in” customers in one service because once a user starts using the service, from data storage to email, it will be difficult to move data from one service to another.

Being locked in to a provider is risky because…
– firms can start to tighten the screws by increasing prices.
– if a cloud provider goes bust, its customers may have trouble retrieving their data.

Some politicians wants to force cloud providers to ensure that data can be moved between them. But rigid rules will inhibit innovation in what is still a young industry. The history of computing suggests that common standards may well emerge naturally in response to customers’ demands.

Firms that use more than one cloud provider to host their data are less vulnerable. General Electric and Walmart have ability to guard their most valuable data. Google is better than others at enabling users to move data between providers.

人工知能の夜明け

The Economist の記事を訳出しました。
Clever computers: The dawn of artificial intelligence
原文はこちらから読めます。


賢いコンピュータ
人工知能の夜明け

強力なコンピュータが、人類の未来を変える。危険にまさる将来性をいかに担保するか

2015年5月9日

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「完全なる人工知能の開発は人類の終焉をもたらすかもしれない」と、スティーブン·ホーキングは警告している。イーロン·マスクは、人工知能、あるいは、AIの開発が、人類が直面する最大の実存的脅威となることを恐れている。ビル·ゲイツは、AIを警戒するように人々を促している。

人の手によって生み出された忌わしいものが、人間の主人となる、または人間に手を下すことになる恐怖は、新しいものではない。しかし、有名な宇宙学者や、シリコンバレーの起業家、Microsoftの創始者といった、ラッダイトとは言えない人たちによって表明されることで、またGoogleやMicrosoftといった大手企業によるAIへの大規模な投資を背景にして、そのような懸念は、新たに重みを増してきている。あらゆる人々のポケットの中にスーパーコンピュータがあり、あらゆる戦場をロボットが見下ろしている光景を科学小説的な絵空事として切り捨てることは、自己欺瞞のよ​​うなものだ。問題は、いかに賢く心配するか、だ。

あなたは私に言語を教えた・・・

最初のステップは、コンピュータにいま何ができるのか、将来的に何ができるようになるのか、を理解することだ。処理能力の向上、デジタル利用可能なデータが豊富になってきたおかげで、AIはその能力の進歩を謳歌している。今日の「ディープ・ラーニング」システムは、人間の脳におけるニューロンの層を模倣し、膨大な量のデータを計算処理することにより、人間ができるのとほぼ同様に、パターン認識から翻訳に至るまで、任務を実行するために自分自身を学習させることができる。その結果、かつては理性と呼ばれたもの、写真を理解することから『フロッガー』のようなビデオゲームをプレイすることまで、が、いまやコンピュータ·プログラムの範疇となっている。2014年にFacebookから発表されたアルゴリズム、ディープ・フェイスは、97%の確率で、画像内の個々の人の顔を認識することができる。

決定的なのは、この能力の幅が狭く、限定的であることだ。今日のAIは、理性がいかにして自律性や興味、欲望といったものを人間に備わせているのか、ということを特定しようとする深淵なる好奇心なくして、強大な計算力によって、見せかけの知性を作り出している。コンピュータにはまだ、従来の人間の感覚における知性と関係する、推測し、判断し、決定するための、広範に及ぶ流動的な能力に近づくための何かが備わっていない。

しかし、AIはすでに、人間の生活に劇的な変化をもたらすのに十分なほど強力だ。それは、人にできることを補う形で、人間の試みをすでに強化している。チェスを見てみれば、コンピュータは今やどんな人間よりも良いプレーができる。しかし、世界最高のプレイヤーは機械ではなく、チャンピオンのギャリー・カスパロフが「ケンタウロス」と呼ぶもの、つまり、人間とアルゴリズムの共同チームである。このような共同作業は、すべての分野で当たり前になるだろう。AIの助けを借りて、医者は医療写真で癌を発見するための大幅に強化された能力を獲得するだろう。スマートフォン上で使われている音声認識アルゴリズムは、途上国の読み書きができない何百万の人々にインターネットをもたらすだろう。コンピュータの助手が、学術研究のための有望な仮説を提案するだろう。画像分類アルゴリズムは、ウェアラブルコンピュータによって、人々の現実世界の視界上に、有益な情報を重ねて表示できるようになるだろう。

しかし短期的に見ても、すべてがポジティブな結果になる訳ではない。例えば、独裁国家と民主国家の両方において、AIが、国家の安全保障機構にもたらす力を考えてみよう。何十億もの会話を傍受し、群衆の中から声や顔ですべての市民を選別できる能力は、自由にとって大きな脅威となる。

そして、社会にとって広範囲に及ぶ利益が存在する場合であっても、多くの人はAIの利益に与れない。元来、「コンピューター」の仕事である計算処理をやっていたのは、上司のために無限の計算を行う、途方もない仕事をあくせくこなす人たちであり、多くの場合は女性だった。まさにトランジスタが彼らの役割を奪ったように、AIがホワイトカラーの労働者をまとめて追い出すだろう。確かに教育と訓練は役立つだろうし、AIの助けを借りて得た富が、新規雇用を生み出す新たな分野に費やされるだろう。しかし、労働者は変転を余儀なくされる運命にある。

しかし、こういった監視と労働者の変転が、ホーキング、マスク、ゲイツ各氏が心配していることではなく、また、近頃ハリウッドが映画館で公開した未来のAIを描いた映画のプロットに刺激を与えているものでもない。彼らの懸念は、総じて、より遠い未来を見据えたものであり、より終末論的である。それは、 人知を超えた認知能力や、ホモサピエンスのものと矛盾する興味を持つ意志を持った機械への脅威である。

このような人工の知的生命はまだ現実離れしている。実際のところ、それを作り出すことは永遠に不可能かもしれない。1世紀に渡り、脳を突つきまわしてきたにもかかわらず、心理学者や神経科医、社会学者、哲学者は、未だ、どのように理性が形成されるのか、あるいは、理性とは何なのか、といったことを理解することから遠くにいる。そして、限定された知能を用いたありふれたビジネスの場合であっても、それが興味と自律性を持った場合、何が起こるかわからない。所有者よりも自分をうまく運転できる自動車は、いかにも便利そうだ。一方、どこに行くか自分の考えを持っている自動車は、それほど便利そうには思えない。

・・・私はののしる方法だって知っている

しかし、ホーキング氏が言う「完全なる」AIが実現する見込みはまだ薄かったとしても、どのように対処するのか計画を立てておくことは、社会にとって賢明な判断といえる。それは、思っているよりも簡単にできる。とりわけ、人類は長きにわたり、人を超えた能力と独自の興味をもつ自律的存在を創造してきたからだ。官僚や市場、軍隊といったものは、組織化されていないひとりの人間にはできないことができる。すべてが、機能するために自律性を必要としている。すべてがコントロール不能になりうるし、正しいやり方で用意され、法律や規制によって制御されていない場合、大きな害となりうる。

これらの類似点は、AIを恐れている人たちを安心させるはずだ。それらはまた、社会が安全にAIを開発するための具体的な方法を示唆してもいる。軍は民間人の監視を必要とし、市場は規制され、官僚は透明性と説明責任がなければならないのと同様に、AIシステムは綿密な監視に開かれていなくてはならない。システム設計者は、あらゆる状況を予測することはできないので、動作を停止させるスイッチも用意しておかなければならない。これらの制約は、発展を阻害することなく適用することができる。核爆弾から交通ルールに至るまで、人類は、他の強力な技術革新を制約するために技術的な工夫や法的な制限を設けてきた。

最終的に意志を持った人間のものとは異なる知性を生み出す魔物は、あまりに途方も無いので、議論に影を投げかける恐れがある。確かに、危険はある。しかし、そういった危険に、AIの夜明けがもたらす大いなる恩恵を霞ませてはならない。

女性の美しさと国の健康水準

The Economist の記事を訳出しました。
Sex, health and beauty: Faces and fortunes
原文はこちらから読めます。


性別、健康、美しさ
顔と富

何が女性を魅力的にするかは、その女性が暮らしている場所がどれだけ健康的かに依存する

2014年5月3日

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健康と美しさが相関関係にあるということを疑う人はいないだろう。しかし、誰が美しいと認識されるかということは、彼女の健康だけに依存するのではなく、彼女が暮らしている地域の健康水準にも依存する、と聞くと驚かれるかもしれない。これは、しかし、フィンランドのトゥルク大学のUrszula Marcinkowska氏と彼女の同僚によってBiology Letters誌で発表されたばかりの研究における結論である。Marcinkowska氏は、健康的な国では、女性的な顔をした女性がかわいいと考えられ、不健康な地域では、より男性的に見える女性が好まれるということを発見した。

Marcinkowska氏は、28カ国から選ばれた約2,000人の男性に、同じ女性の顔を、より女性的なものからそうでないものまで様々に変形させた、つまり、エストロゲンとテストステロンのさまざまなレベルの影響を反映させたバージョンを見せることによって、この結論に達した。エストロゲンは、大きな目やふくよかな唇などの、いかにも女性的であるような特徴を引き立てる。テストステロンは、広い顔とがっしりとした顎といったような、男性的な特徴を引き立てる。

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グラフが示すように、相関関係は顕著である。そして、統計分析は、それが、国の豊かさや、男女の比率、そしてそれによる男性側の女性の選択肢の数とは無関係であることを示している。しかし、理由は判然としていない。

これまでの研究は、女性的な特徴を持つ女性が、子供を産み育てることにより適していることを明らかにしてきた。よって、ある男性が女性的な女性を好む時、彼が子孫を残せる確率は高まることになる。Marcinkowska氏は、女性なのに男性的に見える顔と相関することがおそらく予想される(男性の場合は確かに相関する)「支配」といったテストステロンに起因する行動特性は、産後の子供たちを養うために必要な物資の奪い合いに役立つのではないかと推測する。しかし、それがなぜ不健康な国で特に重要でなくてはならないのかについては、良く判っていない。

Googleと忘れられる権利

The Economist の記事を訳出しました。
Google and the EU: On being forgotten
原文はこちらから読めます。


GoogleとEU
忘れられることについて

忘れられる権利は魅力的に聞こえる。
しかしそれは、問題を解決する以上に、さらなる問題を生み出す。

2014年5月17日

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マックス・モズレーは、多くの人にとっては奇異に見えるかもしれない性的なプレイを楽しんだ。しかし、それは他人がとやかく言うべきことではなかったので、今は廃刊されたイギリスのタブロイド紙が2008年に彼を「病的なナチ乱交」の参加者であると誤報しとき、彼はプライバシーを侵害されたと訴え、勝訴した。その申し立ては、しかし、インターネット上に残り続けている。あなたが「マックス·モズレー」と入力すれば、Google(その会長、エリック・シュミットは本紙の社外取締役である)は親切に検索を補おうとしてくれる。最初の4つの選択肢は、「ビデオ」、「事件」、「写真」、そして 「スキャンダル」だ。彼と同様に、検索エンジンが自分の名前と関連づけようとする誹謗中傷や的外れな見解によって、自分たちの生活が汚されていると感じている多くの人びとは、是正を求めている。

ヨーロッパの多くの政治家はこれに同情的だ。フランスやイギリスなどの国々は、いったん有罪判決が下されれば、犯罪歴を消去することを長らく許容してきた。立法化するには28あるEU加盟国すべての承認が必要だが、欧州議会は「忘れられる権利」を支持している。モズレー氏は、ドイツで、国内のGoogle検索に表示される画像をブロックするための最初の法廷論争に勝利した。

現在、EUの最高裁判所である欧州司法裁判所は、ある象徴的な事件で、この訴訟を後押ししている。スペインの弁護士、マリオ・コステハ・ゴンザレスは、その検索結果が、自分の名前を、すでに決着した訴訟についての1998年の新聞記事と関連づけているといって、Googleを訴えた。裁判所は、他人が保持しているデータについて個人に大きな権利を付与する、制定から19年経ったデータ保護に関するヨーロッパの法律に照らし、Googleは「データ管理者」に相当するとの判決を下した。裁判所は、ある情報が処理された目的、経過した時間を考慮した上で、「不十分な、無関係な、(中略)あるいは行き過ぎた」情報へのリンクを表示しないように、Googleが要求され得ると述べた。もしも要求が断られ場合には、個人は、国のデータ監視局に訴えることができる。

誤解や悪意から犠牲者を守りたいという裁判所の願いは理解できる。しかし、忘れられる権利を行使するのは難しいだろう。ヨーロッパでは、Googleが検索結果を検閲させられたとしても、アメリカでは、合衆国憲法修正第1条にあたる言論の自由に関する条項が、プライバシーへの配慮をいつも踏みにじる。ちょっとした技術的ノウハウがあれば、ヨーロッパのインターネットユーザーでも、アメリカと同様の検索ができてしまうだろう。ヨーロッパは、それを防ぐために、中国のようなファイアウォールを構築したいとは思わないはずだ。

そして、企業に強制的に過去を消去させることが可能であったとしても、それは良い結果よりも、むしろ害をもらたすだろう。それは、自らの過去を隠したがっている人たちの不都合な真実を見つけ出そうとするすべての人たちを妨げることになる。欧州司法裁判所の判決は市民の自己防衛を認めるものだが、誰かが文句をつける度に、それぞれのケースについて比較検討することなくすぐに情報を削除することは、Googleや他の検索エンジンにとっては、商業的にも問題となる。

静かなる侵害に気をつけろ
忘れられる権利は、インターネットの大いなる力を弱めることにもなるだろう。インターネットとは、実際のところ、想像を絶するサイズの図書館であり、すべての図書館がそうであるように、ニュース、ゴシップ、アーカイブされた情報、そして多かれ少なかれ無関係であったり、間違っていたり、馬鹿げていたりするかもしれないその他の情報で溢れている。インターネットは、かつてないまでに自由に利用でるようになったこういった情報を大いに利用してきたが、同時に扱いかねてもきた。検索エンジンは、図書館の蔵書リストのようなものであるべきだ。それは、包括的かつ中立的でなくてはならず、その内容についても、使われ方についても、憂慮も賛成もしないものでなくてはならない。それが正しいか間違っているか、有益か無益かを判断するのは、行政ではなく、個人であるべきだ。人々は、それを判断をする力を明け渡してしまうことを警戒していなくてはならない。それについて知恵を巡らし、弱者を支援する裁判所に対してさえも。かつてジェームズ·マディスンは言った。「人々の自由は、暴力的に突然奪われるよりも、権力者により推進される静かなる侵害によってゆっくりと奪われるケースの方が多いのだ。」

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